とんま天狗は雲の上

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漂白される社会

 「この国はどこで間違えたか」を読んで最も感銘したのが筆者・開沼博の言説。弱冠29歳ながら社会の現実を見つめる目を確かで明瞭だ。フクシマ論で論壇デビューした筆者だが、本書では日本社会の周縁部に巣食う社会の実態を紹介し、現代社会の病巣と実像を明らかにする。
 「あってはならないもの」を権力の力で消し去り、追いやることで、かえって不可視化された中で存在している。それは「自由」と「無縁」のはざまで、かつての「家族」や「地域」といったインフォーマルなセーフティネットが効かない状況下で、個人が直接貧しさや生命の危機に直面し、誰の支援も得られずにもがいている姿だ。
 紹介される実態は全部で12。過疎の離島で売春が撲滅される中、老いつつも売春に縋って生きる老女たち。マクドで暮らし、移動キャバクラで生きながらえるホームレスギャル。貧困者を集めるシェアハウスビジネス。生活保護受給者と共生するヤミ金業者。デリヘルや援デリに生きるスカウトマン。闇バカラ野球賭博の実態。不可視化され広がる脱法ドラッグの世界。ヤクザからこぼれ落ちていく右翼団体代表の人生。過激派の純粋な生き方とクリーンなNPOの実態。偽装結婚で生活する外国人と日本人。入管法改正で来日した日系外国人青年の生活実態。中国エステのママの半生。
 いずれもこんな世界があるのかと思うことばかり。中でもシェアハウスの実態については驚いた。貧困ビジネスにかろうじて救われる人々。一方で、貧困ビジネスすら拒否して必死で生きるホームレスギャル。ヤクザも手を出さない世界に伏流して広まる脱法ドラッグ。これらを30歳にも満たない筆者が取材していったということからしてすごい。
 不可視化して周縁化するこれらの実態を、筆者は社会が「漂白」された結果だと言う。滅菌し消毒した結果、アレルギーになる現代人のようなものか。サナダムシと共に生きた方が実はより健康だというアイロニー。日本社会はどこへ行くのだろう。

漂白される社会

漂白される社会

●現代において「無縁」の原理と「自由」が極めて近い関係にあることも見えてくるだろう。かつては、限られた一部の人々や場所にのみ存在していた「無縁」の原理は、現代社会において「自由」と呼ばれるものと癒着しながら、偏在するようになってきた。・・・本書が扱おうとする「周縁的な存在」とは、この偏在する「無縁」の原理が、現代社会にありながら貫かれた存在のことだ。(P18)
●職業の「フリーランス化」は、常に「個人の自由の実現」というバラ色の未来につながっているように見える一方で、従来であれば中間集団が吸収していた不確実性やリスクに、生身の個人がさらされることも意味する。/リナとマイカの選択(移動キャバクラ)は、「貧しさ」が不可視化された街の中で、これまで用意されてきた「インフォーマルなリスクヘッジ」の手段に頼ることすらできない状況を端的に表していることは確かだ。(P72)
●メディアでは偏ったシェアハウス像がでっち上げられているようにも思う。・・・「確かに、理想の暮らし方のような部分もあると思いますが、カネも、仕事も、情報も、あるいは学歴や能力もない人のほうが潜在顧客としては多いですよ。・・・結局、カネのある人は自分で家を借りたり、普通の賃貸の家賃と同じかそれより高いくらいの高付加価値型の個室シェアハウスに行っているようです」(P104)
●「正義」は常に重層的なものだ。それは、社会の中に常に複数、分散、乱立して存在する。・・・「正義」「善良」「合理」「中心」、あるいは「普通」といった価値。それらは常に、その時々の状況で一時的に構築されたものだ。・・・その重層性に無自覚なままに、一つの絶対的な「正義」を求め続けることは「正しさなき『正義』」や「普通ではない『普通』」を生み出していくだろう。(P283)