とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

世紀を刻んだ歌

 NHK-BS2のプレミアムアーカイブズで「世紀を刻んだ歌」のシリーズ3番組を放送していた。何気なく録画をした番組だったが、内容の深さに驚き、感動した。放送されたのは「ヘイ・ジュード〜革命のシンボルになった名曲」「イパネマの娘〜青春のメロディーの栄光と挫折」「花はどこへいった〜静かなる祈りの反戦歌」の3つ。いずれも2000年10月が初放送だ。
 洋楽ファンでもなく、これらの曲がヒットした時代を知っているほどの年齢でもないが、いずれも聞いたことはある。中でも「ヘイ・ジュード」はビートルズの名曲として時に口ずさむこともある。だが、ヒットした当時小学生だった私には、「ジュード」の意味がわからず、「柔道か!」なんて思っていた程度だ。答えはジョン・レノンの息子ジュリアン。そう言えばイルカにもジュリアンを歌った曲があったっけ(こちらの方がマニアックな気もするが)。
 だが番組はビートルズを追うのではなく、1968年「プラハの春」の当時、チェコで侵攻するソ連への抵抗の気持ちを込めた歌詞を付けてこの歌を歌いヒットさせた女性歌手マルタ・クビショバの人生を綴る。彼女はこの曲の故に弾圧を受け、歌うことを禁じられたばかりか、就職した会社へも圧力がかかり、職を得ることもかなわず極貧の生活を送る。
 「どういう意味を込めて歌っているんだ」と問われ、「詞のとおりよ」と答える。幼い子供を励ます歌詞は同時に抑圧される国民を励まし決起を促す内容でもあった。チェコはその後1990年の無血革命で解放され、マルタ・クビショバは学生たちに招待され、大学の教室で再びヘイ・ジュードを歌う。歌詞には色々な意味を込められるし、聞く者も色々な意味を感じ取ることができる。名曲とはそうした深さを持った曲を言うのだろう。
 第2夜の「イパネマの娘」はボサノバの名曲として有名だ。ボサノバが比較的新しい曲調だということは知っていたが、1950年代、天才ギタリスト、ジョアン・ジルベルトにより生まれたということは知らなかった。彼はアメリカから入ってきたジャズや故国ブラジルの音楽であるサンバに飽き足らず、新しい曲を求めていた。そして数年の試行錯誤の末、独特のギターのリズムと囁くような歌声が溶け合うボサノバを作り出す。
 一方、ピアニストにして作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンは当時の偉大な作詞家ビニシウス・ジ・モラエスと巡り合い、ブラジルにおいて何曲ものヒット曲を生み出す。ジルベルトとジョビンがリオデジャネイロのイパネマ海岸近くのカフェで出会い生まれたのが「イパネマの娘」だ。だが、この話にはサブタイトルの「挫折」につながる続きがあった。
 その後、ボサノバを抱えてアメリカを公演旅行で巡る二人。最初の公演をカーネギーホールで行い、満場の拍手で迎えられる。だが、アメリカ進出によりさらなるヒットを狙うジョビンに対して、ジルベルトはポルトガル語による歌とギターのハーモニーにこだわる。そしてレコーディングの最中にお遊びで録音したジルベルトの妻アストラッドが歌った英語の歌詞による歌がシングルカットされ、これが大ヒットする。ジルベルトは妻と別れブラジルへ帰るが、時代は軍事政権の成立によりボサノバのブームも退潮し、今に至るまで静かに音楽生活を続けている。ジルベルトの声とギターのリズムは確かに心に沁み入ってくる。
 そして第3夜「花はどこへいった」はこれまでの2番組とは違い、小林克也の軽妙な進行で番組は進む。ベトナム戦争時の反戦歌として歌われた流行を紹介した後、この曲を祖国ドイツに戻り歌ったマレーネ・ディートリッヒボスニアへの反戦の思いを込めてこの曲をバックに演技を披露したカタリーナ・ビットを紹介する。そしてこの曲の生みの親、フォークシンガーのピート・シーガーが登場。
 ところがこの曲はピート・シーガー一人で作ったものではなかった。シーガーはロシアの作家ショーロホフの作品「静かなドン」の中の一節から着想を得て作詞作曲をする。だがシーガーは3番までしか作らなかった。その後、ジョー・ヒッカーソンが4番・5番が追加し、1番の「花はどこへいった」に戻る内容となり、さらにメッセージ性が高まり、キングストン・トリオやピーター・ポール&マリーらが歌って大ヒットした。
 番組ではさらにショーロホフの故郷へ行き、静かなドンで取り上げられた民謡が歌われるシーンまで映し出す。ロシアで生まれ、アメリカのフォークシンガーが新たな命を吹き込み、さらに完成し、多くの歌手がカバーし、世界に広がる。まさに歌は世界を巡る。
 これら3つの番組を通じて訴えるのは「平和」「反戦」だろう。右傾化進む現代にNHK-BS2でこのシリーズを再度取り上げ放送したことには意味がある。NHKにもまだ平和を愛する心ある職員がいるという証だろうか。いい番組を見せてもらった。