とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

五十にして散ず。

 「四十にして惑わず」というが、50才を過ぎてますます惑うことが多くなった。ましてや「五十にして天命を知る」なんてことはあり得ない。もっともこれは孔子以外は同感だろうけど。
 「惑う」というのは、複数の選択肢の間で決断ができないことのように見えるが、最近は明確な選択肢を立てることもできない。集中できないのだ。
 ヨーロッパリーグが終了し、Jリーグが中断して、サッカー中継がめっきり少なくなってしまった。このブログに書くことが見当たらない。先日のオーストラリア戦翌日のW杯出場決定記者会見での本田の発言(他の選手との比較)、橋下市長のオスプレイ発言、アベノミクス成長戦略と株の乱高下、奥選手の逮捕事件など色々と言いたいことがあるのだが、断片的な思いは浮かんでも、それを文章に書くほどの内容にまで昇華しない。
 実は仕事も同じ状況で、40代の頃は課題に対して対応策もいろいろ思い付いたし行動もしたが、最近は経験で身に付いた作法を繰り返しているに過ぎない。集中して考えられない。まさに「散漫」。「五十にして散ず」。私のことだ。