とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

反乱する都市

 職業柄、タイトルに「都市」や「まちづくり」とついた本はついつい手に取ってしまう。図書館の新着図書棚に並んでいたので思わず借りてしまった。「ウォールストリート占拠」に関係する本というイメージでいたけれど、これが難しい。どこまで理解したかおぼつかない。
 資本家が都市開発により資本を蓄積し、バブルを起こし、恐慌に至る経済サイクルと、その過程で都市の文化や多様性をつくり上げてきた先住民が追い出されていく実態を説明する。都市コモンは先住民のものであり、それを生み出したことによって彼らは都市の権利を有する。そしてそんな彼らに都市での反乱を促す。
 従来の労働組合中心の左翼運動ではなく、都市住民が連帯し、反資本主義闘争を企てる。
昨今の「ウォールストリート占拠」を始めとする連携なき者たちによるデモや反資本主義運動を理論的に支持する。付録として筆者へのインタビューが掲載されているが、そこには「都市革命」という言葉が躍っている。
 だが反乱後のイメージが乏しいのが気になる。左翼の理想的民主主義を排し、水平的でかつ垂直的な組織が必要というが、それはそのとおりとして、具体的な形が見えない。現在の日本においても、極右の安倍政権に対する嫌悪や批判はあるけれど、代替する党派や政治の形が見えてこない。それはアメリカやその他の諸国においても同じなのだろうか。
 グローバル資本主義が世界を席巻する中で、対抗方法としての都市の反乱は理解するが、その後の形が見えないと運動はいつしか霧散するのではないだろうか。闘争ありきではない道を探りたい。

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造

●エルナンド・デソトは、南半球の大部分で貧困層が困窮状態にとどまっているのは、明確な所有権が欠如しているからであると論じて、大きな影響力を持つに至った。・・・しかし、それにしばしば附属する結果は、利潤極大化をめざさない集団的な社会的連帯と相互扶助のあり方が破壊されることである。・・・同じことは、グローバルな貧困に対する解決策として現在ワシントンの金融機関の中で大いに説得力のあるものとして売り込まれているマイクロクレジットマイクロファイナンスにもあてはまる。・・・かかる新興の市場構造を通じて多国籍企業は、一日二ドル未満で生活する20億もの人々から成る巨大市場にアクセスできるようになったのである。・・・マイクロファイナンス・システムの参加者のほとんどは、債務労働者の地位に陥り、多国籍企業と都市スラム街の貧困住民とのあいだを低い報酬で媒介する役割に封じ込められ、そして常に利益は多国籍企業が手にするのである。(P052)
ウォーレン・バフェットもまた最近こう言っている。「階級戦争が存在する。その通りだ。だがそれは私の階級、富裕階級が行う戦争であり、勝利しつつあるのはわれわれの方だ」。唯一の問題は、いつ民衆は階級戦争をやり返すのかである。そして、その出発点の一つは、急速に悪化しつつある都市生活の質に焦点を合わせることである。・・・今や恐慌は、かつてと同じく都市危機の様相を呈している。(P100)
●都市的文脈の中でコモンが私的に領有される第一の手段は、言うまでもなく、土地と不動産に対するレント(地代や家賃)を絞り取ることである。地域社会の民族的多様性を維持し都市の中産階級化に抵抗しようと奮闘しているコミュニティ集団は、突如として、その地域の不動産価格(と不動産税)が上昇していることに気づくかもしれない。不動産業者が、その地域の「個性」を、多文化的で、ストリートに活気があって、多様性があるとして、富裕層に売り込んだからである。市場がその破壊的活動を成し遂げたときにはもはや、もともとの居住者が自分たちのつくり上げたコモンを略奪されている―しばしばレントと不動産税の上昇によって追い出されてしまう―だけでなく、コモンそのものも見る影もないほど変質してしまっている。(P138)
●私の推測するところ、ストリートで暴れる暴徒たちはみな、・・・他の誰もがやっていることをやっているにすぎない。ただ別のやり方でやっているのだ。・・・彼らは、大企業が地球上で行なっていることをロンドンのストリートで模倣している。・・・見境のない焼き畑式資本主義は、今やほとんどあらゆる所で支配階級の公然たるモットーとなった。(P257)
●左翼は常に一つの問題を抱えているように思われます。それは組織フェティシズムです。(P280)
●資本主義は常に、金融機関と国家に支えられながら大規模な都市と都市インフラを生産し再生産することによって急激に成長し、その過程で労働者を統合し、そしてやがてアーバナイゼーションの局地的限界に行き当たって周期的に恐慌を引き起こしてきたのである。(P307)