とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評(63)

 いつもは発行前に予約をするのに、今号は忘れていて、発行後しばらくして気がついた。ちょっと「サッカー批評」に飽きてきたかな。今号の特集は「監督の正しい叩き方」。ってようするに「監督批評のあり方」って意味だろうけど、巻頭に先日のコンフェデ杯でのザッケローニを分析する監督論があり、次いで歴代日本代表監督に対する批評を追う「日本代表監督の『批評史』」、「番記者が監督を強く批評できない理由」、「海外に見る監督批評の作法」、「レキップ紙、フランスフットボール誌流 監督の叩き方」など、「監督批評」そのものを批評する。また、モウリーニョファーガソンのマスコミ等とのつきあい方など特定の監督を取り上げ、メディアとの関係を分析する記事もある。
 それらは個別には面白いが、全体で並べるとふーんと読み過ごしてしまう。「現代のサッカー監督は何を求められ、どうあるべきか」をテーマに気鋭の社会学者等が語り合う「『監督批評』、新たなる地平へ」も興味深く読み始めたが、今となってはあまり記憶に残らない。
 それよりは奥大介の逮捕事件を取り上げた「サッカー星人」や「Hard After Hard」の方が記憶に残っているのは、掲載ページが後ろの方だったからか。「Hard After Hard」はJリーガーを解雇後のコーチという職について取り上げており、次回が楽しみだ。今回が最終回となるが、高校サッカーの暴力的指導を取り上げた「高校サッカーの光と影」もいい企画だった。
 W杯まであと1年、ヨーロッパリーグは新シーズンへの狭間、しかもファーガソンの退任、モウリーニョやグラルディオラの新チーム監督への就任というこの時期に「監督」は絶好のテーマのはず。だがやはり選手に比べれば地味だったか、イマイチ面白味に欠けた。残念。次号の特集は「『サッカー批評』を疑え(仮)」。企画は面白いが、どう切り込むか。値上げに見合った内容だといいのだけれど。

●監督の仕事はチームや選手をただ単に技術的に進歩させることができるか、という段階ではなくなってきている。どのようにして選手をサッカーというスポーツに対してコミットメントさせるか、広い意味で言えば”愛を育むか”、そういうレベルの概念を持っていないと優れた指導者や監督になれないんですね。(P016)
●「ガーン! って当たることが、相手にとっては何も強さじゃないこともある。いろんなことを冷静に分析してやれるか。それが殺気のような闘争心につながります。そういうものを常にコントロールして戦えれば、すごく怖い選手になる。・・・望むっていうことですよね。どう望むか。相手より勝ちたいって思うヤツは、誰もが怖い。それが殺気。(P049)
●僕はJリーグの良いとこは何かって言うと、自分の幸せは自分達で作るということを日本人が初めて、あの規模で成功したということだと思います。・・・小さな温泉街でも、自分達で努力をすればスポーツクラブを作れるんだということになった。がんばれば、東京よりも素敵なスポーツコミュニティが地方でできているっていう、これがすごいところです。(P086)
●「指導者は選手への指導・育成と同時に次の指導者を育てているんです。サッカーを愛する指導者をたくさん育てる。より良い指導者へバトンタッチすること、それも大事な役割です」