とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

医学のたまご

 中高生向けのジュニア・ノベルということでこれまで敬遠してきたが、先日ネットを見ていて、この作品も海堂尊の桜宮サーガの中では欠かせない重要なパーツの一つだと気付いた。そこで思い切って図書館で予約。夏休みの子供たちの予約が重なる中(たぶん?)、しばらく待ってようやく順番が回ってきた。
 読み終わって、二つの感想。一つは「これは大人が読んでも十分面白い」。そして「これは大人にも勇気を与える本だ」。少なくとも僕は、主人公の薫くんとともに自分の勇気のなさに恥じ入り、そして最後には勇気をもらった。薫くんに、いや、パパの曾根崎伸一郎氏に。いや本当は海堂尊に。
 もちろん子供向けということで他の海堂作品にあるようなどろどろした背景や思惑、今後に引き摺るしがらみなどはきれいに拭い去られ、最後はスカッと気持ちよく勧善懲悪で終わる。そして明快だからこそ、作者が読者に伝えたいことがストレートに伝わってくる。それは本来子供たちに向けてだろうけど。我々大人が読めばなおさら、心にストレートに突き刺さってくる。
 もちろん無限の未来があって人生の修復や挽回が可能な子供たちと、これまで生きてきた年数よりも余命の方が短い我々を較べるわけにはいかない「大人の事情」がすぐに心に湧き上がってきてしまうけれど、でもあまりに臆病になり過ぎてはいないだろうか。限られた人生の中で十分修復や挽回が可能な挑戦ですら、勇気を出さず、現状に流され、それを言い訳としていないだろうか。
 そんな反省をしてしまった。薫くんに学びたいと思う。一緒に育っていけたらと思う。続編を期待したい。大人となった薫くんに会ってみたい。

●藤田教授の一連のふるまいが僕の言葉を封じたのだと、僕はずっと思っていた。でも、思い出してみるとよくわかる。あの時僕は、藤田教授に抑えこまれたわけでは、全然なかった。僕は自分自身で”言わない”という行為を選択していたのだった。/僕は、自分の論文の弱点をあえて言わなかった。それはどこからどう見ても、間違いなく僕自身の選択結果だったのだ。(P166)
●三田村君がいなければ、曾根崎君なんてただのポンコツ目玉おやじのいない鬼太郎、アムロが乗らないガンダムよ」(P188)
●パッシヴ・フェーズの極意は専守防衛だ。事が起こったら即座に反応し、被害を最小限に食い止める。だからこれからの君の我慢は、いつまで続くかわからない。そして一度コトが始まったら、機敏に動かなくてはならない。意識を清明に保ちながら集中して、しかもじっと我慢する。これが世の中で一番大変なことだ、とパパは思っている。(P222)
●ディア・カオル。囚えられてしまった悪い流れの中で、難しいのはきちんと謝ることではない。その奔流の中でも、不当な非難には敢然と立ち向かうことだ。それはただ謝りつづけることよりも、ずっと大変だし、ずっと技術もいるし、何よりずっとずっと勇気がいることだ。(P250)
●何かをしたら、何かを失う。それが怖くて人は何もしなくなっていく。でもそれは間違いだ。カオルは大切な人を失ってしまったと考えているかもしれない。でもそれは、ほんの束の間、君の前から姿を消すだけ。その人の心の中には、カオルが勇気を持って立ち上がった姿がずっと生き続けるだろう。君の心の中で、大切なその人の勇気ある姿がいつまでも燦然と輝いているのと同じように。(P274)