とんま天狗は雲の上

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憲法の「空語」を充たすために

 内田樹氏がだいたいこういった内容の憲法観を持っていることは想像していたが、想定以上に明確に、かつ肯定的に明るい憲法論を語っており、読んでいて楽しかった。もともとは神戸市が講演を拒否した憲法集会での講演をまとめたもので、わずか95ページのブックレットで簡単に読めてしまうが、内容は刺激的で面白い。
 日本は世界で唯一、徹底的に負けた。フランスはヴィシー政権がドイツに協力的だったにも関わらず、ド・ゴールがイギリスを拠点に自由フランスを呼びかけたために、戦勝国のような顔をしている。ドイツもヒトラー個人とナチスにすべての穢れを押し付けて被害者面している。それに対して日本だけはそうした「負けしろ」や「物語」を作り出すことなく、徹底的に負けた。それゆえ憲法をいまだ自分自身のものと自信を持って言えずにいる。憲法が主語とする「日本国民」とは自分のことであるとは思えない。そこにこそ、日本国憲法脆弱性がある。
 第2部以降では、最近の株式会社マインドによる政治とグローバル資本主義との関係など、憲法論を超えて国民国家論について述べていく。憲法の意味や日本憲法が抱える本質的な脆弱性グローバル化国民国家ナショナリズムグローバリズムなど内容は多岐に渡るが、非常に面白く楽しめる本である。

●日本の民主制がこれほど脆弱であったこと、憲法がこれほど軽んじられていることに多くの人は驚倒しています。・・・わずか2回の選挙で連立与党が立法府の機能を事実上停止させ、行政府が決定した事項を「諮問」するだけの装置に変えてしまった。・・・日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。(P4)
憲法というのはその国家の「あるべきかたち」を指示するものです。「あるべきかたち」である以上、それは「まだない」。・・・その意味では、アメリカ独立宣言もフランス革命の人権宣言も「空語」なのです。同じ意味で、日本国憲法も「空語」です。問題はその空隙は事実の積み重ねによって充填しなければならないという強い責務の感覚がアメリカ人やフランス人にはあったが、日本人にはなかったということです。(P24)
●株式会社は手に負えないと判断したら破産すれば済む。破産してしまえば、それ以上は誰も責任を追及できません。でも、国民国家に破産宣告はありません。・・・日本に対して「貸しがある」と思っている国は永遠に取り立てを続けます。/中国韓国からの戦争責任の追及が終わらないだけでなく、アメリカが日本国内の「好きなところに好きなだけの期間軍隊を置く」権利を戦後70年保有しているのも、列国が日本に対して「戦争のときの貸しがある」と思っているからです。(P61)
グローバル化がこのまま一方通行的に進むということはありえません。ですから、グローバル化の病的な亢進と歩調を合わせるようにして激化したナショナリズムや排外主義や「右傾化」現象も、グローバル化の停滞に遭遇した段階で、急速に萎えてゆくだろうと僕は見ています。そして、それとは違うかたちの「ゲマインシャフトの再構築」、つまり同一共同体内部の人々が支え合い、助け合って生きてゆくための共生の仕組みをどうやって作り直すかということがそれぞれの社会での優先的な政治課題になるだろう、と。僕はだいたいそんなふうに見通しています。(P94)