とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

水声

 姉弟にして同じ屋敷に一緒に住む都と陵。その父親と母親、いやパパとママも実は兄妹で、都と陵は実はいつも何かと面倒を見てくれる武治さんとママとの子どもらしい。それに友人の奈穂子。主な登場人物はこれだけ。物語は都の回想と独白で進んでいく。都の子ども時代、二十歳前後、ママがなくなった30歳前後。それぞれ独立して暮らした30代。そして10年ほどして一緒に暮らし始める都と陵。
 それらにチェルノブイリ事故や地下鉄サリン事件などが微妙にまとわりつく。最後は突然、家の梁が落ちて家を手放し、同じマンションの隣同士で暮らし始める二人。東日本大震災津波でさらわれた海岸沿いの風景の描写が物語に陰影を作る。
 これらの話が時を前後してゆるやかに行きつ戻りつし、都の心根を描いていく。都の心を大きく占めるのはママ。ママの夢に怯えつつ、ママに寄り添う。個性的だったママの言葉を思い出す。死の前後の日々を思い出す。そしてママをそっと見守るパパ。
 都と陵は姉弟で交わる。ごく自然に。だが、時はそんな二人をやさしく見守り、静かに心を満たす。
 水声とはどういう意味だろう。二人で旅した東北の被災地のホテルで水の音を聞く。それは遠い世界の涯にある、こころもとない、ささやかな流れ。ママが待つ死の淵からの音だろうか。陵と一緒にいる幸せ。それは確実に死へ近づいていく。人は誰も必ず死んでいくものだから。でも「どうやって死ぬかは、決められない」。死の淵でママが言うとおりに。

水声

水声

●何もかも、なんて、怖いこと。ママならば言うだろう。実際、ママがつぶやいていた言葉を、わたしは覚えている。あたしは、人の何もかもを知るなんていう怖いこと、したくないわ。自分の何もかもだって、知りたくないくらい。(P45)
●母親がいるから、自動的にしあわせになるわけではない。母親ときちんとした関係を持てるから、しあわせなのだ。ママは、いつだってわたしを見ていなかった。見ているようで、まるで見ていなかった。陵が、陵だけが、わたしを見ていた。そしてわたしも、陵だけを。(P110)
●おれたちは、起きた事がらの意味からできあがっているわけじゃないでしょ。ただずっとふらふら存在してきて、それで今たまたま、こうなってるだけでしょ。/「じゃあ、起こったことに、意味はなかったの?」・・・「意味なんで、ないでしょ。あるわけが、ない」/かみしめるように、陵が言った。(P160)
●あたしが死んだら、盛大に悲しんでちょうだいよ。あんな素敵な人を亡くして、人類の損失ですって、そりゃもう、盛大にね。/「ごめんなさい、もっと生きなくて」/死ぬ前の日に、ママは言ったのだった。/「どうやって生きるかは自分で決められるけど、どうやって死ぬかは、決められないみたい。ちょっと、くやしいわ」/と。(P185)