とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

大いなる眠り

 村上春樹訳のレイモンド・チャンドラーを読んだ。「ロング・グッドバイ」に続いて2冊目。いや、面白い。
 最近、ミステリーは海堂尊の作品以外、ほとんど読んでいない。昔はアガサ・クリスティーエラリー・クイーンなどを夢中で読んでいた時期もあったのだが、これらは推理小説「海外ミステリーオールタイム・ベスト30」というまとめサイトを見たら、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」も入っていた。それならもっと色々と読んでいるかな。考えてみれば、村上春樹の作品にもミステリー・タッチなものも少なくない。そもそも小説の分類なんてそれほど明確なものではないのだろう。
 レイモンド・チャンドラーの作品はいずれもフィリップ・マーロウが魅力的だ。どこまでもタフで、どこまでもクールで、どこまでもやさしい。本書の終盤、影の悪役・エディー・マーズの妻、モナ・マーズと心を通じ合うシーンなど、言葉は少ないが、「やあ、銀のかつら」の一言で、二人の心の交流を見事に描き出してしまう。
 一方で、各場面の冒頭に描かれる描写は細かくかつ鮮やかで、その場の雰囲気だけでなく、登場人物の心の内面まで描き出す。そしてかっこいい。多くの人を魅了するのもよくわかる。次は「さよなら、いとしい人」を読んでみようか。「海外ミステリーオールタイム・ベスト30」の26位にランクインされていた。

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

大いなる眠り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

●照明には現実離れした緑色が混じり、水族館の水槽を抜けてきた明かりのように見える。なにしろ植物だらけで、森の中にいるような気分だった。不気味な肉厚の葉、洗われたばかりの死人の指のような茎、それらは毛布の下でアルコールを沸騰させているような強烈な匂いを放っていた。(P12)
●翌朝はからりと晴れ渡り、太陽が眩しかった。口の中には機関車運転士の手袋が一組詰まっていた。(P67)
●私は彼女の隣に立ち、その膝に触れた。彼女はふらりとよろけるように立ち上がった。二人の瞳の間にはほんの僅かな距離しかなかった。/「やあ、銀のかつら」と私は穏やかな声で言った。(P308)
●いったん死んでしまえば、自分がどこに横たわっていようが、気にすることはない。汚い沼の底であろうが、小高い丘に建つ大理石の塔の中であろうが、何の変わりがあるだろう? 死者は大いなる眠りの中にいるわけだから、そんなことにいちいち気をもむ必要はない。石油も水も、死者にとっては空気や風と変わりない。ただ大いなる眠りに包まれているだけだ。・・・この私はといえば、今ではその汚れの一部となっている。ラスティー・リーガンよりももっと深く、その一部と化している。(P364)