とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

メッシと滅私

 別にメッシについての本が読みたかったわけではない。だから本書が発行された時には全く購入する意思がなかった。だが先日、何かの本を読んでいたら、本書が紹介されていて、阿部勤也氏の『「世間」とは何か』をサッカー界に当てはめた本といった記述があった。『「世間」とは何か』はずいぶん前に発行された本で、読んではいないが、少し気にはなっていた。そんな社会学的にサッカーを読み解く本ならば面白いかもと思って、『「世間」とは何か』と一緒に本書を購入した。
 まずは本書から。読んでみたら、確かに「『世間』とは何か」以外にも阿部氏の本、『ヨーロッパを見る資格』や『「教養」とは何か』、『キリスト教は戦争好きか』などの引用が多い。と言っても、全然学術的でない。というか、日頃の取材で得た代表選手たちの言動から、日本サッカーとヨーロッパ・サッカーとの違いを抜き出していく。読んでみるとけっこう散漫で正直読みにくい。「自己主張」「上下関係」「自己責任」「専門性」というキーワードでそれぞれの章を構成しているが、阿部理論をこうした区分けで適用していいのだろうか。けっこう常識的な区分けで、内容的にも一般的に言われることと大差ない。
 後半は、『「文明の衝突」エピソードあれこれ』『日本代表での「文明の衝突」』という取材エピソードを集めた内容になっている。オフトから始まる外人監督とのエピソード、そしてザックジャパン批判を繰り広げているが、W杯惨敗という結果を見れば、結構この批評は正しかったとも言える。
 日頃、社会学の本など読まない人にサッカーを読み解くとこんなふうになりますよと紹介する感じの本で、それなりに面白いが、物足りなさも感じる。こんな本もありかなと思う。そんな内容とレベルの本だった。

メッシと滅私 「個」か「組織」か? (集英社新書)

メッシと滅私 「個」か「組織」か? (集英社新書)

●“なんであの警官は、ろくに周囲に話を聞きもせず、自分の知識・経験・想像だけで返事をしたのか。それは、個人で問題を解決するという習慣があるからではないか”(P28)
●『キリスト教は戦争好きか』にはこんなくだりもある。/「力ずくでも心理を伝えねばならない」という考え方が、キリスト教の歴史のなかでさまざまな残虐行為を引き起こすことになります。・・・間違った者を力ずくでも正道に戻す行為が「愛」という言葉で表現されるとき、どんな残虐なことも平等で行うことができるようになります。(P76)
●「年齢に関係なく、ピッチ上で一番力のある選手が一番力を発揮することがもっとも合理的なことだろ?」/逆に、上下関係があると楽なものだな、と思ったものだ。そういう関係をつくっておけば、年上との人間関係は無難にこなせる。・・・上下関係がない、ということは、日本から現地に渡ったものにとって、とても大変なことなのだ。(P89)
キリスト教社会では「チームメイトのために頑張る」という観念がアジアとは少し違う。・・・日本ではチームワークとか団結とか絆とか、そういう一体感を表すことが多い。でも、ヨーロッパでは聞いたことがない」/けっして「チームワークを乱せ」と言っているのではない。チームワークの考え方が違う。自己責任。つまり「自分を犠牲にしてでも仲間のために頑張る」のではなく、「自分がまず力を発揮して仲間のためになる」と考えるということだ。(P106)
●勝ちにこだわりすぎることは「勝利至上主義」と揶揄される。/ところがドイツでは根底が違った。試合自体が“ゲーム”。駆け引きが楽しみ。その勝ち負けに徹底的にこだわることが遊びなのだ。(P132)