とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

経済ジェノサイド

 先日読んだ「ジェロニモたちの方舟」に本書のことが紹介されていた。2013年に発行された新書本だが、その内容は深くレベルが高い。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者フリードマンによって提唱された新自由主義がいかに世界を歪め、世界を荒廃させたか。いやTPPを先導するアメリカや各国政府は未だにフリードマン主義に捉われたままだ。フリードマンがいかにして自らの主張を各国政府に採用させていったか、フリードマン自身も想定外だったという貨幣の商品化がいかに各国政府のコントロールが効かない化け物となってしまったか。フリードマンと対峙しつつ、結局はフリードマン主義を止めることができなかった3人の経済学者、フランク、ガルブレイスドラッカーが何を主張していたかも紹介しながら、フリードマン主義の実態に迫る。
 もう一つの視点は、フマニタスとアントロポスの対比だ。知の営みとしての人間存在であるフマニタスが自然存在としてのアントロポスをいかに支配し、統治していったか。フリードマン、そして政府はヒューマンなフマニタスの顔をして、無知で無辜なアントロポスである多くの人間を支配し、分離し、時に絶滅させてきた。今一度、アントロポスとしての人間存在から世界を考えてみようという指摘であり問題意識だ。
 9.11と言えばアメリカの世界貿易センターが崩壊した日だが、その38年前、チリでピノチェト政権によるクーデターがあり、多くの人が殺され、弾圧された。しかしそれ以上にチリを荒廃させたのがクーデター後持ち込まれたフリードマン主義による経済政策である。経済ジェノサイドという言葉はまさにこのことを示している。そしてそれは今もなお、世界銀行などによって途上国などで適用され、さらなる荒廃を招いている。
 TPPなどその代表的政策だと思うが、本書ではその言葉は用いられない。金融工学に対する批判は鋭く主張されるが。そして今日本はまさにフリードマン主義が適用され、年金・社会保障制度が株式運用等により解体されようとしている。フリードマン主義は軍部とも相性がいいことも示される。またフリードマンはメディアもうまく利用して、自らの主義を広めていった。まさに今日本で進行しつつあることだ。恐ろしいことだ。

経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀 (平凡社新書)

経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀 (平凡社新書)

市場経済において企業が負うべき社会的責任は、公正かつ自由でオープンな競争を行うというルールを守り、資源を有効活用して利潤追求のための事業活動に専念することだ。[……]それ以外の社会的責任を引き受ける傾向が強まることほど、自由社会にとって危険なことはない。これは、自由社会の土台を根底から揺るがす現象であり、社会的責任は自由を破壊するものである。(P92)
●テクノストラクチュアの構成員は、政治への関与について難しい立場に置かれている。みずからの生存を可能にしている組織から抜け出ることはできないからである。構成員が圧倒的な政治力を発揮できるのは、国家に依存した「官僚組織の延長として」、つまり技術者として、テクノストラクチュアの実権を握るときだけである。しかしその根本的な方向性は国策によって決められてしまっている。(P122)
●「おカネだけが大事」なフリードマン主義にとって、貨幣は根本的に諸刃の剣ともいうべき存在であった。・・・おカネは、ひとたび商品として規制なく取引されるようになると、・・・国家が手綱を握る手元自体を緩めさせてしまった。・・・貨幣という制度が国家という制度の下部に位置しつづける必要がなくなる、貨幣自体が主権をもつという意味での貨幣主義になるということである。・・・やがてそれは国家にとってなんとも手に負えない存在にまで伸長してしまったのである。(P176)
●国有化解体の手法やバウチャー制度などによって、大きな政府における社会福祉社会保障の実質的な充実度を落とさないようにみせながら、むしろそれを自分で獲得しましょうと自由な「所有者社会」の夢で誘い、そのための各自の小さな元手を発見させ、あるいは与え、あるいは購入させ、使用させ、競争させ、その結果として政府のコスト削減を達成するというやり方であった。(P214)
●途上国の発展とはそこに市場や資本を形成し、途上国の人びとの生活水準を西洋的なそれへと引き上げることだといいつつ、結局はそれが冷戦のイデオロギー戦争において、途上国を自由世界へ呼び込むための方便であった・・・フマニタスが「あなたのためを思って」というとき、ほんとうはフマニタス自身のためを思っている。(P278)