とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

宇宙を動かす力は何か

 タイトルだけ見たら、新たな宇宙論に関する話かな、と思うけど、実は「物理」について、一から、数式を用いず、一般相対性理論までを説明していく本である。AKBの総選挙に始まって、地面とは何だろう、フィギュアスケートで動いているのはどっち、止まっているとは? 動きにくさと重さの違いなど、日常的な感覚から物理の「理」について考えていく。

 そして相対性原理からニュートンの運動三法則(慣性の法則)、さらにはアインシュタイン特殊相対性理論一般相対性理論まで説明していく。さすがに相対性理論になると時間や空間、質量までもが相対的に変化するので理解するのは難しいけど、それでもあくまで日常感覚から想像力を働かせることで説明しようとする。その手腕は見事と言える。

 ところで「宇宙を動かす力は何」だったっけ? 特にそれについて説明しているところはなかったような・・・? そうか、答えは「物理」という落ちか? うーん、やはりタイトルはもっと素直につけてもらった方がよかったのではないかな。「文系でもわかる物理」とか「日常から考える物理」とか、そんな内容の本です。

 

宇宙を動かす力は何か 日常から観る物理の話 (新潮新書)

宇宙を動かす力は何か 日常から観る物理の話 (新潮新書)

 

 

○自分の知識が「理解」なのか「信念」なのかをはっきり区別するのは案外大切です。「理解」とは、根拠となる、より根本的な知識や経験を出発点にして、自分の言葉で説明できる状態の知識です。一方「信念」とは、根拠はなくとも正しいと感じている状態の知識です。・・・ひとたび信念を理解に昇華させると、その知識は他の知識と有機的に繋がり、自分自身の「理解のネットワーク」の一部となります。ネットワークが広がった分だけ、世界はシンプルになり、同時に深みを増します。(P36)

○科学が追究しているのは真理ではありません。あくまで「合理的な説明」です。少ない仮説で多くの現象が説明できる時、私たちはその仮説に敬意を表して「自然界の理」と呼びます。ですが、どこまで行っても仮説は仮説ですから、時代が進んで・・・その説明は合理的ではなくなる可能性があります。/そういう意味で、理というのは時代によって変わるやわらかいものなのです。(P53)

○重力というのは、実はとてつもなく弱い力なのです。例えば、パチンコ玉に上から小さな磁石を近づけると飛び上がって磁石にくっつきます。・・・この磁力を生み出しているのは小さな磁石なのに対して、パチンコ玉を下に引っ張っている重力は巨大な地球が生み出しています。/地球のような超巨大な物体が作る重力よりも、小さな磁石が作る磁力の方が強いというのは、いかに重力が弱いかを物語っています。(P137)

ニュートンは17世紀の人ですが、21世紀になった今でも状況はさほど変わっていません。分かっている事よりも分かっていない事の方がはるかに多いのです。いや、これは言い方が良くありません。/「分かっていない事すら分かっていない事」があまりにたくさんある、という方が正しいでしょう。つまり、私たちの身の周りには、私たちが問題意識すら持ち合わせていないような現象がたくさんあって、そこには、未知の理がたくさん隠れている(P146)

○「自分の時間は自分で測るもの。それが他の人が測った時間と同じである必要は、実はない」という認識こそがポイントなのです。このように、位置や速度だけでなく、次官の進み方までが相対的、つまり、観測者ごとに違うというのが「相対性」理論という命名の由来です。このことは同時に、この宇宙には絶対時間など存在しないことを示しています。どんなに頑張っても「宇宙標準時」は設定できないのです。(P208)