とんま天狗は雲の上

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プーチンとG8の終焉

 タイトルで終焉するのはG8であり、「プーチン」と「G8の終焉」という意味である。「プーチンとG8」が終焉するのかと最初、疑問に思った。それで本書は2012年に発行された「プーチンの思考」の続編だという。ならば「プーチンの思考2」というタイトルであってもよかった。2013年末以降に発生したウクライナ危機を中心に、プーチンはこれにいかに対応したか、そしてそこから窺うことができる「プーチンの思考」について記述する。

 本書を読んで理解するのは、プーチンがいかにロシア国民にとって希望の星となっているか、そしてそれをプーチンはけっして独裁的な手法で達成しているのではなく、プーチン自身のロシア祖国への思いが国民をしてプーチンに絶対的な期待を寄せていることがわかる。もちろん「テレビ国民対話」やそこでの軽妙な話術が国民の心理を引き寄せているわけだが、それらはプーチンがいかに政治家として優れているかという証左ではあっても、独裁的な野心からではない。

 何より、シリア問題等において対欧米や国際社会に対する発言などは理に適っており、真に国際平和を求めているのはどちらなんだと思わせる。ウクライナ問題に関しては苦しい言明もあったようだが、4年ごとに大統領選があるアメリカよりははるかに安定感のある言動が見られる。そしてそうした態度は北方領土問題などにおける日本外交でも同様に見られるものだ。日本では強硬でしたたかなプーチン外交として報道されることが多いが、逆に言えば、日本はいかにナイーブで弱腰な外交を繰り広げているかということでもある。

 一方で筆者はプーチンなき後のロシアを心配する。次の大統領選が2018年。そこでさらに6年間大統領に選任されたとして8年目以降のロシアはどうなっていくのか。そもそもその間にはアメリカでは次の大統領の2期分の時間が過ぎていく。世界はどう移っていくのだろう。その前に日本の、そして自分自身の生活を心配した方がいいかもしれない。どう考えても日本にはプーチンはいないし、プーチンに匹敵する治者が登場する可能性や期待も全くないのだから。

 

プーチンとG8の終焉 (岩波新書)

プーチンとG8の終焉 (岩波新書)

 

 

プーチンが目指しているのは「祖国ロシアの防衛」であって領土拡張や覇権主義ではないという基本的な認識は今も変える必要がないと思う。プーチン路線の基本は、冷戦終結後の「米国中心の世界秩序に対する不服従」である。・・・ウクライナ危機を契機にロシアが急に変わったのではなく、環境の激変がプーチンをクリミア編入という大きな賭けに踏み切らせ、その余波がウクライナ東部の泥沼の紛争という形で現れていると見るべきだろう。(はじめにP3)

プーチンキエフでの政変を含むウクライナをめぐる状況を、米国とソ連の二つの超大国が覇権を争いながら牽制し合った冷戦のシステムが消え去った後に不安定化した世界情勢の反映だと指摘し、「米国を筆頭とした「西側諸国」は国際法ではなく力の論理に従うことを好み、国際機関は弱体化した。・・・」と述べて・・・強い調子で非難した。・・・「ロシアは自立した、国際社会の行動的参加者であり、ロシアには他国と同様、尊重されるべき国益がある」。(P56)

○米国とロシア(ソ連)は「冷戦時代には対立したが、かつては同盟国として共に戦い、ナチス・ドイツを倒した。国際連合は、このような荒廃を二度と起こさないために創設された。国連の創設者たちは、戦争と平和の問題はコンセンサスによって決定されるべきだと考え、安保理の常任理事国には拒否権が認められた。この深遠な知恵こそ、過去数十年にわたって国際関係の安定を支えてきたものだった」と指摘した上で、・・・「ロシアはアサド政権を擁護しているのではない。国際法を擁護しているのだ」と強調した。(P145)

プーチンの年末会見や「テレビ国民対話」は、プーチンがいつも通りに力強く元気な姿を国民の前に見せ、欧米などからの「外敵」から国民を守る決意を示し、時折皮肉交じりの冗談を言いながら「何も心配することはない。すべてはうまくいく」と約束する機会なのだ。(P196)

○プリマコフが指摘したように、欧米とロシアが協力して解決しなければならない「本当の脅威」が世界には存在する。それはISのような狂信的テロ組織の拡大であり、ますます深刻になっている地球温暖化問題であり、国際的に広がる経済格差や不公正の問題である。・・・欧米とロシアが対立を続け、国際的な協力ができずにいるうちに、これらの「病気」は深刻化していく。(P228)