とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

岡山(吹屋・倉敷)、徳島(脇町・鳴門)、淡路島の旅(その1)

 4月29日から2泊3日で岡山から四国に渡って徳島、淡路島と回ってきた。久しぶりに仕事のことを忘れて、楽しい家族旅行だった。まずは29日朝、5時前に起きて荷物を積み込み、みんなを起こして6時過ぎには出発。初日は倉敷まで。名神での渋滞を考えると、観光する時間を考えれば早ければ早いほどいい。初日は娘がハンドルを握った。

 しかしいつものとおり、しばらくクルマに揺られると妻が「トイレ」と訴える。最初は多賀SAで休憩。草津を過ぎて京滋バイパスへ。高速の渋滞時間表示を見ると近畿自動車道経由の方が早い。久御山JCT第二京阪道路に向かい、近畿自動車道を通って吹田JCTから中国自動車道へ入る。ここまでは順調。しかしそこで止まった。宝塚トンネルまで80分。じりじりと進む。

 当初は直接、倉敷へ向かう予定だったが、途中まで順調だったので、吹屋へ寄ろうと考えた。でも渋滞で心が揺れる。でもせっかくだから。神戸JCT中国道へ向かった。ここからはまた順調。勝央SAで食事をして、新見ICで降りる。2時前。そこから南に下がって吹屋をめざす。着いたのは2時半過ぎ。少し時間がかかり過ぎた。

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 吹屋と言っても知らない人が多いかもしれない。銅山として発展し、ベンガラ製造で栄え、ベンガラを混ぜた赤い壁や赤いベンガラ格子になまこ壁の町家が並ぶ古い町並みだ。瓦も石州産の赤瓦。こんな町並みは他では見たことがない。山あいだけにそれほど人出も多くなく、のんびりとした気分で町並みを歩いた。次はそこから少し走って近代化産業遺産・ベンガラ館へ向かう。こちらはベンガラ工場を復元したものでベンガラ製造の方法などを学べる。陶芸教室に参加していた子供たちを除いては他に客もいない。ここでものんびりと見学し、それから笹畝坑道へ向かう。こちらはベンガラの原料となる黄銅鉱や硫化鉄鉱を採掘した坑道を一般公開している。入口でヘルメットを受け取って頭を屈めながら坑道の中へ。上からは水が滴り落ち、足元は濡れている。中には坑道内で働く人形が置かれておりギクッとしたが、冒険心もくすぐるなかなか楽しい体験だ。最後は急な階段を登って外に出る。明るい光が気持ちいい。

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 次は広兼邸。ここはかつて映画「八墓村」のロケにも使われた豪邸で、駐車場から見上げる石垣は見事の一言に尽きる。広兼家は銅山とベンガラ製造で栄えた大庄屋で、石垣の上に精一杯広がる白壁はまるでお城のようだ。

 ここでもう4時になってしまった。大急ぎで倉敷へ向かう。幸い道は信号もなくスイスイと進んでいく。5時前に着けるかなと思ったが、倉敷駅横の踏切で大渋滞。結局、美観地区に着いたのは5時を過ぎてしまった。倉敷では市営中央駐車場に停めて、倉敷国際ホテルの北から美観地区に入る。さっそく土産物屋が並び、観光客が溢れる。さっきまでの吹屋とは大違い。しばらくその雰囲気に乗り切れなかったけど、白壁と腰板壁、それにお堀と緑の多さに目が奪われ、人の多さも気にならなくなってくる。大原美術館、大原亭、有隣荘、加計美術館、倉敷民藝館、倉敷考古館。それらしい建物が堀と一体となって美しい。ぶらぶらと歩き、職場へのお土産にきび団子を買う。キビキビダ~ン!

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 その後は駐車場に戻って、アイビースクエアの前を通って鷲羽山のホテルへ向かう。倉敷と言えばアイビースクエアというイメージだったけど、学生時代に訪れてから既に40年近く。倉敷はすっかり違うイメージの街になっていた。そしてその日の宿は鷲羽山下電ホテル。昭和天皇も宿泊したことがあるという由緒あるホテルだが、建物自体はかなり古い。増築に増築を重ね、遅く予約した我々は一番遠い廊下の奥の部屋。それでも眼下に海が広がり、朝には漁に向かう漁船が多く行き交う。瀬戸大橋も右斜め前に見えて眺望は抜群のホテルだった。その日はビールを飲んで撃沈。早々と眠りについた。(続く)