とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

政治家が超楽観的なのは、将来に対して責任を感じていないからだ。

 国会も閉会し、次は参院選を待つばかりとなっている。安倍首相は消費税増税を先延ばしするのに、リーマンショック並みという言葉を使おうとして、欧米諸国の猛反発を食らい、結局「新しい判断」という言葉を発明した。そのことの是非はおくにしても、当初は合理的な説明を求めたが、最後はエイヤッと新しい概念を持ち出し、それでいいことにしてしまった。一部ではけっして謝らない安倍首相という揶揄もあったが、政治家は非を認めてはいけない職業なんだろう。都知事の辞任前の言動も謝罪と開き直りの狭間で必死にバランスを取っているように見える。

 東京オリンピック誘致にあたっては、「福島原発はアンダーコントロール」と言ってみたり、消費税増税についても、数年前には「アベノミクスにより必ず経済は好転する」と言っていた。政治家は将来については超楽観的なのだ。

 本当にアンダーコントロールされているなんて誰も思っていなかったし、アベノミクスを危ぶむ声も多かったが、結局みんな楽観的な将来像を聞きたいのだ。それで、「課題を先に挙げて、それらに対してこういう対策を講じる」といった話よりも、「まず先に『方策』を掲げ、それを講ずれば課題はすべて解決する」という話法で話した方が気持ちよく、受け入れられやすい。だって、先に「課題」を聞いてしまうと、「本当にそんな対策で課題は解消されるのか」と検証し不安になってしまうが、先に「方策」を聞けば、課題はさまざまにあるのだろうが、十把一絡げに解決されるような気がする。個々の課題に対して目が留まらなくなる。それでこれまでも散々騙されてきたし、これからも破綻するまで騙され続けるのだろう。

 でも政治家は将来に責任を負わないので気楽だ。選挙に負ければタダの人に「なれる」。もちろんすぐにタダの人になりたいわけではないだろうが、未来永劫、首相や知事を続けるわけではない。タダの人になれば評論家然として批判をしていればいい。自民党には多選禁止規定があり、アメリカ大統領も2期8年が限度となっている。今回の消費増税延期は安倍首相の任期が終わった後のこととして無責任と批判する声もあれば、多選規定の変更を目論んでいるという批判もある。結果どうなるかわからないが、どちらに転んでも安倍首相にとってはオーライなのだろう。

 それで今日も政治家は超楽観的な公約を口にする。国民はそれを信じた振りをして一刻、心を慰める。誰も将来のことなど考えていない。真剣に考えている者は悩み、まともに生きていけなくなる。将来は常に不安だ。だが今ほど将来に向けて目を背けようとしている時代はない。