とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

イエスの幼子時代

 タイトルに惹き付けられて借りた。ボブ・ディランノーベル賞受賞には驚いたが、クッツェー南アフリカ出身の2005年ノーベル賞作家だ。読み始める前はてっきり、本当にイエスの幼児時代を描いた作品だとばかり思っていた。でも全く違う。

 少年ダビードはイエスだろうか。それにしてはあまりにわがままだ。でも、とてつもなく頭はいいらしい。しかし自分の世界に浸っている。それよりも興味深いのはシモンとダビードがたどり着いたこの世界だ。人々は日々の生活に満足して、欲望を持つことなく質素に暮らしている。だが荷役の肉体労働者が休日には哲学教室に通っている。

 そんな世界に満足できないデビードとシモンは、母役のイネスとともにこの世界を飛び出す。そしてフアンという青年と出会い、一緒に旅を始めるところで話は終わる。これでは全く長い小説のほんの序章だ。そして続編も刊行予定だという。易しい文章で、でもどこか可笑しい世界。

 楽しい? 面白い? おかしい? 知的? 生活派? 少なくともここまではキリスト教的とは言えない。それとも西欧の読者はこれを読んで聖書的に感じるんだろうか。続編を読まねばならないか。それとも過去の作品を読んでみるか。まだ、クッツェーの楽しみ方がわからない。

 

イエスの幼子時代

イエスの幼子時代

 

 

○まあ、結局、ここに、この埠頭に、この港に、この街に、この国にいるのが一番ということだな。考えられうるあらゆる世界のなかで最良の場にいるのが、一番良いわけだし」/アルバロは顔をしかめる。「ここは、“考えられる世界”なんかじゃない」彼は言う。「唯一の世界だ。そこが最高になるかどうかは、あんたやおれが決めることじゃない」(P59)

○旧世界の考え方では、どれだけ多くを手にしようと、なにがしか足りないものが常に出てくるんです。・・・わたしに言わせれば、どこまでいっても癒えないこの不満・・・こそが、わたしたちの捨て去るべきものなんです。足りないものなんてなにもないんですよ。なにもないのにあなたは足りないと思っていますが、それは幻なんです。あなたは、いわば幻の人生を生きているんです。(P86)

○べつに無能なわけじゃない。救済される必要があるなら、とっくに自分たちでしているよ。愚かなのはおれたちじゃない。愚かなのは、あんたが頼りにしている小賢しい理屈だ。そのせいで、答えを見誤ってしまうんだ。・・・「小賢しい知恵の出る幕はない。大事なのは実物だけだ」(P151)

○「無限には、良い無限と悪い無限があるんだ、シモンさん。・・・悪い無限というのは、夢から覚めたら夢、それもやっぱり夢、それもまた夢と際限なくつづくようなやつ。・・・でも、数ってそういうのとは違う。数は良い無限を形成してる。なぜ良い無限か? なぜなら、数は無限にあるんだから、宇宙のあらゆるすきまを埋めてくれるでしょ。つぎつぎとレンガみたいにぎっしり並んで。だから、おれたちは安全なんだ。落ちる場所がない。あの子にそう言ってやればいいですよ。きっと安心するから」(P330)