とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

アジア辺境論

 タイトルに惹かれて思わず買ってしまったが、かつての内田樹の名著「日本辺境論」ほどに独自の内容があるわけではない。内田樹姜尚中の対談集。日韓が政治・経済・文化など様々な局面で連携することで、新しいパワーが生まれる。さらに台湾や香港も加えたアジア辺境国連携の提案を巡って対談をする。その中では、明治の思想家・樽井藤吉の「日東合邦論」も紹介されており、面白い。

 ただ、内容としては、民主主義や自由主義、現在の政治状況等を問う、「第1章 リベラルの限界」までで全体の半分近くを占め、アジア連携論についてそれほど多くのページを割いているわけではない。現在、北朝鮮問題などが混迷する中で、日本の政治状況は一気に総選挙に突入してしまった。もう少しすれば、次の新しい政治状況が生まれるかもしれないが、いずれにせよ、各党の主張はあくまで内向き。世界やアジアには全く目が向けられていないように見える。世界は利用する対象であって、連携する対象ではないようだ。

 世界の中で日本はいかにあるべきか。いや、日本人はいかにあるべきか。さらに言えば、私はどうあるべきか。それを考える必要がある。本書を契機に、アジアに思いを馳せるのも悪くはない。

 

 

〇民主制というのは「主権者は誰か」についての次元の話であって、統治が「どういうかたちであるか」についての話ではありません。民主制の対立項は、王制や貴族制や帝政といったものです。主権者が国王であれば王制・・・国民であれば民主制。ですから、国民は主権者だが統治形態は独裁制であるということは論理的にはありうることなのです。現に、20世紀における代表的な独裁制は、どれも民主的手続きを経て生まれました。(P43)

〇僕らは大きな歴史的事件が起きると、必ずそれにふさわしいだけの歴史的な大きな条件が前段にあったと思いがちなのですが、偶然そうなったということが結構あるのですよね。たまたまその場に居合わせた個人が世界史的な影響をもたらしてしまったということって、想像する以上にあるんじゃないでしょうか。・・・些細な個人の力、影響で、ふたつの国の関係が悪化したり、いい方向に向かったりもする。そう考えると日韓関係も、エモーショナルなところで振り回されず、もう少し別の見方ができるかもしれない。(P124)

〇帝国のニッチにおいて、「合従」的連携が必要だということは、もう明治の初期から多くの思想家・活動家が語っていることなんですよ。・・・たとえば、樽井藤吉(アジア主義者、1850-1922年)・・・という人は、白人の侵略に対抗して、日本と韓国で連合して国を作ろうということを提案したわけですけど、樽井のユニークなところは、それが日韓の対等合併論だったことです。・・・その国名が「大東」。なかなかすてきなファンタジーですよね。(P138)

〇本来政治というのは、金儲けができない、身動きもできない、そういう弱い人たちでも、ちゃんとある程度安心した生活ができるようにしますよという、セイフティネットを敷く社会的な営みですが、今は逆にそういう人たちを締め出しにかかっている。・・・そういう締め出しが頻繁に起きていることが、政治が消滅して、私物化されている象徴だと思うのです。・・・ナショナリストが公的に物を言うときは、公的な資源をできる限り私的に利用しようという魂胆がある。(P180)

〇日本の社会には、異質なものを匿名性に追い立てていく力がどこかで働いているのではないか・・・。そういうものが強制的かつ自発的な隔離みたいなものによって成り立っているので、なかなか問題が見えにくい。・・・しかし、韓国を見ていると、日本ほど隠蔽できない社会になっていて、非常に対立が厳しい。そこが問題でもあるけど、よさでもある。日本ももう少し異質なものとの対立も含めて、みんながカミングアウトできる社会にしていって欲しいなと思います。やっぱり民主主義はそれによって成り立っているわけだから。(P208)