とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ネットは基本、クソメディア

 「ネットのバカ」は楽しく読んだ。中日新聞に連載されている「ネットで何が・・・」も毎回楽しく読んでいる。本書も、タイトルにはちょっとエッ?と思ったが、期待して購入した。もちろん面白かった。

 インターネットの世界はどんどんと変化していく。Windows95が発売された1995年以降のネットの流れを振り返る部分は、自らを振り返るようで特に楽しかった。だが、「ウェブ2.0」は幻想だった。芸能人ブログが多く立ち上がり、スマホが普及し始め、SNSが始まると、芸能人ネタでPVを稼ぐという仕組みが成功し、クソ記事量産の温床となった。さらに企業がネットに本格参入し、PV重視の広告マネーの流入が、クソメディア化をさらに促した。

 そして「ウェブ2.0」で一世を風靡した梅田望夫が追い出され、評論家の東浩紀がネットに対する幻想を切り捨てた。そうした中で、DeNAに代表されるキュレーションサイトが問題を引き起こしていく。こうしたサイトでは素人ライターを多用し、職業ライターの世界を土台から崩していった。自らがその土台の上に立っていたことも気付かずに。

 本書ではDeNAの調査報告書を中心に、キュレーションサイトの問題点を明らかにするとともに、しかしそれでも、紙媒体の編集者がネットメディアに移ることによって、自浄作用を示し始めていると将来への期待を語る。私にはただこうして趣味のブログを愚直に書いていくことしかできないが、それを続けることでブログの可能性を信じていきたいと思う。東氏の危惧もよく理解できるが、それを使い熟す知恵が人間にはあると信じたい。TVはクソメディアだが、優秀な番組も多くあって、それが実はTV業界を支えているように。

 

ネットは基本、クソメディア (角川新書)
 

 

○動画にかぎらず、情報技術はつねに社会改革への希望と結びついてきた。WWWもブログもSNSも、出現当初は新たな社会や民主主義の担い手として期待を集めていた。しかし普及とともに力を失い、単なる娯楽の場所に変わる。いまやネットはフェイクニュースと猫動画ばかりだ。・・・ユーストリームの名が消えることは、じつに象徴的に思える。ぼくたちはそろそろ、ネットが人間を賢くしてくれるという幻想から卒業しなくてはならない。[東浩紀の執筆記事からの引用](P76)

○一部のIT企業及びネットメディアにはコンテンツ制作へのリスペクトがないということを改めて理解した。あくまでもPVを稼ぐ手段としてコンテンツを制作しているだけで、内容はどうでもよく、とにかくアクセスされることを重視する姿勢があることが見て取れた。(P86)

○いま新聞社系の人々で力のある若手記者たちがネットニュースに移り始めているのだ。・・・彼らはネットで起こった事象などについてはキチンと直接取材・・・をしており、ウェブメディアの健全化への意思を感じることができる。私の自戒も含めてなのだが、結局テキトー過ぎるメディアが立ち上がり過ぎたことは、インターネットがうさんくさいもの扱いされる結果をもたらした。・・・緻密でより裏取りと確認が求められる紙の編集に慣れた人がネットに入って来てレベルを底上げしてくれることを歓迎したいのです。(P179)

○実はネットメディア人は、将来の見通しが立っていない。それは常日頃から我々の間で話題となっている。/「ネットメディアは次の道が分からない。・・・新聞社や出版社はあくまでも『社』な感じ。次の転職を考えるのではなく、終身雇用を前提としている。・・・インターネットのメディアは『社』ではなく『インターネットメディア業界』で成り立っています」・・・いわば「道標」がないという話であり、「ロールモデル」が存在しないのである。(P201)