とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

愛と狂瀾のメリークリスマス

 新年も明けてしまったが、昨年秋に発行された本書をようやく読み終えた。日本においてクリスマスとは何なのか。それをさまざまな文献等で調べていく。なかでも明治後半以降は朝日新聞東京版を渉猟することにより、当時の世相がいかにクリスマスに反映したかを追っていく。たぶん筆者は、この作業が先に行い、その上でそれ以前、戦国以降のキリスト教伝来と幕府や明治政府等のキリスト教対策について調べたのではないか。それで明治前半までは、時の政府が日本古来の文化や社会の基層を守るために、いかにキリスト教の布教を防いだか、ということが中心になっている。特に明治維新以降、開国しつつもキリスト教は認めない、宗教部分を抜いたキリスト教文化としてクリスマスが取り入れられた。それはつまり、日本の他の祭事と同様に、騒ぐことのできる祭りとしてのイベントであった。

 後半は、戦時中であっても、戦争など他人事として、クリスマスのバカ騒ぎを続ける日本人の姿。さらに占領時代の鬱屈と終戦の矛盾した精神が反映した結果の1950年代のクリスマスのバカ騒ぎを描く。1930年代と1950年代はいずれも共通してクリスマス・バカ騒ぎの時代なのだ。そして1952年をピークにクリスマス騒ぎは終息し、1970年代以降、恋人たちのイベントへと変化していく。ここではクリスマスの変化を捉えられない新聞と、アンアン・ノンノなどの女性誌やホットドッグプレスなどの男性誌の特集記事を見ていく。そして現在は沈静期だ。なぜか。それを筆者は社会が平穏なゆえと記述する。本当にそうなのか。それはまた後代になって見えてくるのだろう。

 いずれにせよ、クリスマスはキリスト教そのものとは関係なく、あくまでキリスト教が表象する西洋的なものと日本的なものとの相克の中で生まれてきた、新しい文化であった。現代ではクリスマスに代わるものとして、バレンタインやハロウィンも楽しまれている。さらにはイースターも。でも結局、いつまで経っても、日本人の深層は変わらない。本書はそのことを言いたいようだ。しかし、本当に大事なことは、深層ではなく、表層なのかもしれない。結局、戦争や政治は表層で起きてくるのだから。深層で満足してしまうのは却って危険ではないか。本書を読みながらそんなことを思った。

 

 

キリスト教の宗教的内容は取り入れない。ただ西洋列強の文化はキリスト教を基盤として成り立っているから、キリスト教も学ばないといけない。・・・日本におけるクリスマスの受容の歴史は、“キリスト教から宗教部分をぬくと、何が残るのか”に対する回答のように見える。/日本人の答えは「クリスマスが残ります」ということになる。(P81)

満州事変はこの昭和6年1931年の9月に勃発し・・・12月は関東軍満州エリアにおいて戦闘を継続している。・・・しかし、後年の私たちが考えるほど・・・世間は動揺していない。楽観している。/日露戦役も欧州大戦でも日本は勝ったわけで・・・日本軍は世界でもトップクラスに強い軍隊だと国民全体が信じていたのだ。・・・国民ががんばらなくても、軍隊が何とかしてくれるよ、という雰囲気がある。たぶんそれが当時の正直な気持ちだとおもう。(P138)

○クリスマスは禁止されたが、そのあとの12月30日、歳末時期には、新橋から銀座を越えて日本橋まで、まるっきり身動きができないほどの混雑ぶりであったと報道されている。・・・支那事変からしばらく、戦争景気もあり、日本の景気はよかったのである。・・・外地で戦争が始まると、内地の景気はよくなるものなのだ。外地で行われているかぎり、国民は戦争を支持(というか応援というか)していたのである。(P157)

○戦争は間違いだった、という叫びが社会の基盤に置かれると、「終戦によって社会は劇的に転換して、新しくすばらしい時代が始まった」という考えを持たなければいけなくなる。・・・だから1930年代のクリスマスと、1950年代のクリスマスの熱狂について、その共通点を語る人はいなかった。・・・終戦までには軍隊による言論統制があり、幸福・占領後はまた、“戦争を起こした戦前体制を絶対に認めない”という別の言論統制があったわけである。(P180)

○1950年代のクリスマス騒ぎの気分的な背景は・・・占領支配の時代から主権独立の時代へうつっていく、その時代の変動と不安感によって増幅されていた。・・・クリスマス騒ぎ批判は、アメリカ支配に対する反発であり、アメリカ文化に追従している自国民に対する非難であった。・・・大騒ぎしながらもそれを批判するという分裂的行動は、つまりアメリカに追従しなくちゃいけないけれど、でも追従だけではだめだ、という必死の、自我を守る行動に見える。(P184)