とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

無言の威力、忖度の極み

 日馬富士の暴行事件に始まる一連の大相撲騒動も年始の評議員会で貴乃花親方への処分が決まり、ようやくひと段落着いた感じだ。式守伊之助のセクハラ事件はそれ以上発展することもなく落ち着いている。今週末にはまた初場所が始まり、新たな動きがあるかもしれないが、ワイドショーの話題はこのところ、韓国と北朝鮮の南北会談や北朝鮮危機、カヌーのドーピング問題などに移りつつある。

 その大相撲騒動だが、当初は日馬富士貴ノ岩に対する暴行事件だったものが、騒ぎはドンドンと広がっていき、白鳳の品格問題や日本相撲協会の対応の不手際、さらには池坊評議員会議長までやり玉に挙がるなど迷走状態を続けている。

 それで、知人の女性に、貴乃花の対応について聞いてみると、彼女は「貴乃花親方は被害者なのにかわいそうだ」と言う。「別に貴乃花親方が暴行されたわけじゃないから、被害者でないのでは」と言ってみたが、「報告をしなかった程度のことで厳しすぎる」という意見。別の男性に聞くと、「相撲協会八百長体質や暴力団との関係をきちんと清算しきっていない」と彼もまた相撲協会に対して批判的で、貴乃花親方に対する批判は大きくなかった。

 どうしてこうなるんだ? 私はこれまでの経験上どうしても、今回の騒動を「組織としてどう対応するか」という視点で見てしまう傾向があるかもしれないが、その視点からすれば、相撲協会の対応に大きな問題があったとは感じられない。もっと適切なマスコミ対応があったのかもしれないが、ある程度適切な対応だったと思うし、理事解任という処分も適切に思う。

 何より、一連の騒動の間、そして今に至っても、一言も口を開かない貴乃花親方に対する不信感が、私の中では大きくなるばかりなのだが、世間的にはどうやらそうではないらしい。無言を貫く貴乃花親方に対して、親しい関係者が「親方の真意は・・・」と推測し、「相撲協会の膿を出そうと改革を進める貴乃花親方」というイメージを作り出されつつあるようにも感じる。だが、なぜそうなるのか、さっぱり理解ができない。そういう意思があるなら、なおのこと貴乃花親方はそのことをしっかりと口にして話すべきではないのか。

 騒動の初めには、貴乃花に対するこうした批判もあったが、いつまで経っても無言を貫く貴乃花親方に対して、次第にマスコミが勝手に忖度を始め、逆に処分などの組織的決定や記者会見を行う相撲協会に対して、揚げ足取りをして批判を行っている。取材の対象となる素材が貴乃花親方側からは一切出てこず、相撲協会側からはさまざまに出てくるからそうなってしまうのかもしれないが、それにしても貴乃花親方は卑怯だと思う。

 でも、こうした意見に同調してくれる者は少ないようだ。どうしてだろうか。結局、日本は忖度の世界。無言の威力を改めて感じた。そう言えばあの時・・・過去を振り返って、自分の弱さを思い返す。あの時、私も無言を貫いたらどうなっていただろうか。でもきっと誰も忖度はしてくれなかっただろうな。忖度するほどの価値もなかったから。貴乃花親方にはそれだけの価値があるということだろうか。それとも相撲協会がそれほど嫌われているということか。