とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

戦術の教科書☆

 著者のジョナサン・ウィルソンはイギリスのスポーツジャーナリスト。田邊雅之はフリーランスのライター。二人で書いた戦術論は、「教科書」というタイトルにはふさわしくない。「サッカーの進化を読み解く思想史」というサブタイトルの方が、まだその内容を表しているが、それでもまだ堅い。「世界サッカーの戦術論議」といった感じの、軽妙でわかりやすく、しかし内容は非常にしっかりとして説得力がある。読んで楽しい教科書だ。

 戦術論というものの、一つの形を逐条的に説明するのではなく、プレミアリーグを中心に、具体のチーム、監督が採用している戦術やフォーメーションを取り上げて、その意味や歴史までも解説していく。コンテの3バック。クロップのゲーゲンプレス。ゼロトップの意味。ベンゲルの4-2-3-1。エジルが象徴するトップ下。ロバノフスキーの始めたプレッシング。レスターの4-4-2。リバプールのポチェッティーニ。アンチェロッティのマネジメント。モウリーニョ。ウィング論。グアルディオラの魔法。GKの進化など、実に現代的なテーマを実際の監督やチームに即して解説をしていく。よくわかる。

 今シーズンのプレミアリーグは、グアルディオラのマンCが独走しているが、その要因も本書を読めばわかる・・・だろうか。本書ではグアルディオラはマンCで140年前の復活。W-Mシステムで戦っているというのだが。確かに今シーズン、デブライネのポジションがマンCの戦術の肝になっている。またギュンドアンの起用と今後の変化にも興味がわく。

 どの章もわかりやく面白い。著者の一人、ジョナサン・ウィルソンは若干41歳。この齢でこうした本が書けることに、イングランドのサッカー文化の厚みを覚える。世界のサッカーはまだまだ進化を続けている。

 

戦術の教科書 サッカーの進化を読み解く思想史

戦術の教科書 サッカーの進化を読み解く思想史

  • 作者: ジョナサン・ウィルソン,田邊雅之
  • 出版社/メーカー: カンゼン
  • 発売日: 2017/06/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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〇現代のフットボール界において結果を出しているチームには、いくつかの共通する傾向もある。前線からアグレッシブにプレスを掛けようとする意識、そして守備の組織を保持しつつも、中盤を厚くしていこうとする意図だ。・・・コンテがユベントスで採用した3バックなどは、例としてわかりやすい。・・・グアルディオラも似たことを考えた。/マンチェスター・シティでの初陣、グアルディオラは・・・実質的に2-3-5のシステムで戦っている。・・・グアルディオラの2-3-5じゃ、時代遅れな響きを持つという点でも興味をそそる。もちろん中身はまったくの別物だが、選手の物理的な配置だけに着目すれば、それこそ現代のピッチに、100年前の魔法陣がもう一度甦ったようにさえ映るからだ。(P20)

〇近年のフットボール界では、ボールポゼッションをひたすら高めていくのではなく、効果的にカウンターを狙うべきだという見方が支配的になっている。/ところが実際には、カウンターから決まったゴールの割合は半減している・・・かつての戦術論議で争点になっていたのが、守備から攻撃にいかにスムーズに移行するかであったとするならば、今日問われているのは、ボールを失って攻撃が失敗に終わった際に、いかに再び守備に戻るかというテーマになっている。(P49)

フットボールの戦術は、100年以上にもわたる蕩蕩たる歴史の中で、幾多の変化と進化を遂げてきた。・・・音楽の世界に古典派と現代派があるように、優雅でエレガントな「クラシカルなゲーム」と、組織と合理性を重んじる「モダンなゲーム」の分水嶺となった時代と地域は、比較的はっきりしている。/その1つに挙げられるのが、1960年代半ばのキエフだ。1964年からディナモ・キエフを指揮したロシア人監督、ヴィクトル・マスロフは「プレッシング」という概念を発明したからである。/これを境にフットボールは、11人と11人の「個」が戦うスポーツから、11人の選手から構成された「2つの組織」が鎬を削る競技へ変貌。一気に様相を変えていく。(P97)

ビエルサ流のプレッシングは決して万能ではない。理由は簡単。シーズンの後半になると選手が精神的に消耗して、チームの成績が低下していくからだ。/むろんビエルサ自身も、このことは認識している。過去にはこんな発言をしたことさえもある。「もし私が率いているのが生身の人間でなかったら、絶対に負けたりしないのだが」(P173)

〇GKをフィールドプレーヤーの一員として捉えるアイディアは最近、登場したものなどではない。・・・GKが「ゴールを守るために手を使うことを許されているポジション」と明記されるようになるのは・・・1871年まで待たなければならなかった。・・・以降、フットボールが辿ってきた100年の歩みは、むしろGKが、再びフィールドプレーヤーに統合されていくプロセスだったと表現してもいいだろう。(P242)