とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

世界で一番のクリスマス

 風俗業界における人間の生き様、悲しみを描く。これまで、東日本大震災での釜石市の遺体収容と安置の状況を描いた「遺体」などのノンフィクションを書いてきた石井光太が、「蛍の森」で初めて小説を発表したのが2013年。これはハンセン病患者の住む部落における差別の問題を描いたものだった。そして2016年にはイスラム過激派テロ集団と日本人人質事件を題材としたなどの小説「砂漠の影絵」を発表した。いずれも現代社会の矛盾に対する高い問題意識をベースに書かれており、心を打たれた。そして第3弾として出された小説がこの「世界で一番のクリスマス」。だが、これまでがいずれも長編小説だったのに対して、これは5編の短編小説から成る。それだけ風俗業界を取り巻く状況は複雑ということか。しかもいずれも解決への道は示されない。ただ哀しい現実が続いていくだけ。

 1作目の「午前零時の同窓会」は、ホストと身障者となった同級生とのセックスを描く。やりきれない現実。2作目の「月夜の群飛」はデリヘルを中心に、風俗店のコンサルタントを生業とする男性の話。こんな商売があるのか。続く「鶯の鳴く家」は老朽化したラブホテルの顛末を従業員家族の物語と共に描く。さらに「吉原浄土」は風俗街に隣接する産婦人科病院の話。病院は暴力団絡みの企業に、近隣の寺院と共に乗っ取られていく。中絶手術と水子ビジネスの悲しさ。そして最後の「世界で一番のクリスマス」は、フィリピン・パブを経営する父親の下で育った姉妹の話。AV女優からタレントになった姉がフィリピン・パブを再開し、多くの辛く悲しい思いを共有する人たちに元気を与える。

 しかしこれらの現実には行政などから何も手が差し伸べられることもない。社会の底辺で汗と血と体液にまみれて刹那の日々を必死に生きる人々。そしてそれらの人々からさらに搾り取ろうとする輩。唯一、AV女優だけが救いの女神なのか。その悲しい現実に何もできないやるせなさを感じる。

 小説としての面白さには欠ける、とは思うものの、そういった感想を書くことには大いに躊躇いを感じる。石井光太にしても、それ以上、描きようがなかった。まさに救いはないから。そんな人生、そんな社会であっていいはずはないのに。

 

世界で一番のクリスマス

世界で一番のクリスマス

 

 

○広木はグラスの氷を揺らしながら、どうして風俗で働くことを選んだのだろうと考えた。直接のきっかけは、東京に来て職探しをしている時に風俗の求人なら履歴書で嘘を書いても確かめられないと聞いたからだった。子供の頃から両親の自殺や施設で育ったことを知られ、トラウマを背負った人として見なされるのが嫌だった。/風俗で働いてみると、男性も女性も少なからず似たような境遇の者たちばかりだった。あちらこちらで傷を舐め合い、傷つけ合い、どうしようもなくなって消えていく。死に物狂いで働いて独立するにいたったのは、自分がそうした人間たちとはちがうということを証明したかったからなのかもしれない。(P95)

○「あれ、私がつくったんだ」と彼女が言った。/「朝江さんのと同じだろ」/「うん。教わってるの。まだ、うまくできないんだけど……」・・・「子供の頃、みんなあの花火大会を本当に楽しみにしてたな」「アねえに、ここであの花火の作り方をちゃんと覚えるようにって言われてるの。また中庭で花火大会しようって」/清志は言葉につまった。きっと朝江は刑務所にいる間もずっと鶯谷荘の子供たちのことを考えてくれていたのだろう。(P162)

○「三日前、背中を切られた時に気づいたの。ふり返った時、フィリピン人の子の顔が怒りというより、悲しみに満ちているのが見えた。自分がどんなひどいことをしてきたか、わかった」/「そっか」/「遅いよね、バカだよね」/「………」/「病院や祖父の面子だけを守ろうとして、大勢の患者さんを傷つけちゃった……。つくづく自分が嫌になる」(P214)

○「お姉ちゃんはどうしてこのお店をつくったの?」・・・「みんなが帰れる場所がほしかったんだって」・・・「社長さんがいなくなって、家もお店もなくなったでしょ。アンはみんなが楽しくすごせるところを新しくつくりたいって店を開いたの」/店がつぶれた後、家族も従業員も離散してしまった。杏子は、安心してもどれる故郷のような場所を手に入れたかったのだ。(P248)