とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

戦後入門☆

 加藤典洋「敗者の想像力」を読んで以降、加藤氏の「戦後」に関する一連の論文を読んでみたいと思っていた。この「戦後入門」は2015年発行で、1985年発行の「アメリカの影」、1997年発行の「敗戦後論」を踏まえ、それらを再び批評しつつ、現在の安倍政権を踏まえた論考となっている。ただし新書ながら635ページは明らかに厚い。重い。だが、内容は加藤氏らしく、常に明晰で、論理的で、日本の敗戦と戦後の政治状況を、「世界戦争」という米英が発明した戦争ロジック、原子爆弾が米国にもたらしたもの、日本憲法制定の意味と米ソ冷戦といった視点から読み解き、第5部「ではどうすればよいのか」では、憲法改正自衛権核廃絶・基地撤廃に向けた具体的な提案を掲載している。ある意味、非常に真面目な人だ。 

○52年の4月、日本がほんとうには独立などしていない、「自由未だ遼遠なり」の事実は、日本国内の誰の目にも明らかでした。・・・それが、変わりはじめるのは、50年代の後半、とりわけその終わりくらいからなのです。・・・理由は、高度経済成長路線の採用による、政策課題の重心の政治から経済への大きな移行でした。政治課題が凍結され、もっぱら経済的な成長による生活意識の変化がめざされるようになると、対米従属、基地撤廃などといい募ることが、何だか「50年代っぽい」頑なさ、「後ろ向き」のこだわりっぽく感じられるようになってくるのです。(P027)

 第1部の冒頭に近い部分で書かれているこの文章には、加藤氏が日本の敗戦について考える理由が書かれている。日本は確かに、未だ、本当の意味で独立していないのかもしれない。そして、第2部「世界戦争とは何か」では、第一次世界大戦まで遡り、「世界戦争」という認識自体が、米英にとって自国の戦争遂行を理屈づけるための発明であったことを指摘する。

 しかし米国自ら、原発を投下することによって、「人道に対する罪」「平和に対する罪」を破ったのではないか。そのことを隠蔽するために、本来は「全日本国軍隊」にだけ求められていた無条件降伏を、「日本国」全体に対するものと歪曲し、米ソ冷戦が始まる中で、連合国全体に対する降伏だったものを、米国一国に対する降伏へと搾取していった。当時、米国内でも原爆投下に対する疑義が発せられ、ジョージ・オーウェルは近いうちに「原爆が自転車のように」誰の手にも簡単に入手できる時代が来ることを予言した。そして現にそれは現実に近いものとなりつつある。IS国が宣言された時には、私もそのことを大いに危惧した。

 こうした状況と経緯を踏まえ、加藤氏が提言するのは、憲法制定権力を米国から奪い返すためにも、憲法を、「9条を遵守し、戦力を国際連合に預ける」形で改正し、さらに米国に対して、原爆投下を抗議し、謝罪を要求するということだ。憲法改正については、矢部浩治氏が紹介するフィリピンの事例を大いに参考にしている。次は矢部浩治の「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」を読んでみよう。現在の安倍政権の中で、改憲提案をすることの危険性もあるだろう。だが、対米従属の弊害から逃れ、真の独立を果たすためには、こうした提案も大いにあり得ると感じた。加藤典洋にも引き続き注目していきたい。

 

戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)

 

 

○「世界戦争」とは、米英二国が戦争遂行のために発明した認識上の一大武器でもあったのです。/国際秩序を作りあげているのは、理念である。/その理念を自分たちが体現すれば、国際秩序の擁護者として国際社会を味方につけて、戦争を遂行できる。/と、同時に、さまざまな国家を、この理念を大義とするかたちで、グループ形成することが可能になる。(P116)

ポツダム宣言・・・で「無条件降伏」と明記されているのは「全日本国軍隊」であって「日本国」ではない。・・・その証拠に、米国の国務省が、当時・・・「ポツダム宣言は幸福条件を提示した文書であ・・・る」という見解を示している。・・・当初、日本に赴任した直後のマッカーサー・・・の日本降伏の理解は、「無条件降伏」ではありません。・・・しかし・・・着任一週間後のマッカーサーに・・・無条件降伏政策への転換を支持するトルーマン名の大統領指令が、届いています。(P258)

○米国は・・・原爆投下に対する道義的・法的・政治的な批判が、投下された当事国から現れ、それが国際社会に発信され、原爆をオールマイティな切り札として戦後秩序での完全な優位を確立しようとする自国の世界戦略に不利な影響を及ぼすことを警戒していました。・・・彼ら・・・の目的は、国際社会と、米国内と、占領地日本での、米国の理念的。道義的権威を保持し、その戦時下の劣化行為を「正当化」し「修復」すること・・・ふぁ・・・どうしても必要でした。そしてこれらの同期の底には、つねに原爆投下への配慮がありました。(P278)

憲法9条の交戦権の放棄(戦争放棄)という条項を、交戦権の剥奪(懲罰)であるとともに、前倒し的な交戦権の国際連合のような世界政府的存在への委譲でもあるとして受けとめるような視力が、ここには必要でした。・・・しかし・・・日本の一般層(?)・ふつうの人々のほうは、この戦争放棄条項を・・・平常心で受け入れ、圧倒的多数で歓迎した・・・。/その力源とは、彼らのかけがえのない戦争体験です。身近な家族を戦争で亡くした人間が、誰が何といおうと、戦争はよくない、国家は信じない、と考え、感じる。(P352)

○日本は、これらの積極的な国際社会への関与を背景に、米国に対して、戦後はじめてとなる原爆投下に対する抗議と、謝罪要求を行うのがよいというのが、私の考えです。このことは、「謝罪」を要求し、要求されること、またこれに誠実に応じ、あるいはそれから逃れようとすることが、国際関係のなかでどういう意味をもつことであるかを、私たちに教えるでしょう。(P491)

○考えてみれば、この憲法を制定したのは、GHQでした。日本国憲法の制定権力は、そもそも米国のもとにありました。・・・そのときから、状況は変わらず、このとぉの制定権力は、現在も、日本から撤退せず、居続けて、力を行使しています。/そして最大の問題は、これが彼らにとっては他国の憲法であったため、この制定権力は、自分の制定した憲法に対し、これをみずから遵守する義務をもたなかったことでしょう。むしろ、自国の国益にしたがってその権力を行使することを、義務と考えたことでした。・・・戦後の日本に起こった不都合なことがらの起源は、このことに尽きます。・・・そうだとしたら、もはや護憲のままでは、この憲法制定権力を覆すことができないのは、明らかです。・・・ですから、憲法を「使って」この憲法制定権力を日本の外に撤退させる、そのことによって、憲法を「わがもの」にするしか、方法はないのです。そしてそのばあいのカギが、この制定権力の交代を国際社会との連帯のもとで行う憲法9条の遵守の意思表明と、国連中心主義の追求なのです。(P526)