とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

砕かれたハリルホジッチ・プラン☆

 30日のガーナ戦は酷かった。選手はこれまで以上に積極的にプレーしていたが、どんな戦術で戦っていこうとしているのか、それが見えなかった。おまえにそんな眼力はないだろ、というのはそのとおり。西野監督が寡黙で何も話してくれないことも理由の一つ。本田に代表されるように、かなり自由に動いて、人数をかけて局面でボールを奪い、広く展開してクロスを入れる、というゲームプランだったようにも思うが、ゴール前で勝てなくては意味がない。原口を右WBで起用したが、守備はどう考えていたのか。けっこう孤立していたようにも思う。

 本書の発行は「フットボール批評issue20」で知った。当初は「ハリルホジッチ・プラン」として発行される予定だったものが、急遽の監督交代でタイトルが変わった。もちろん内容も変わった。それにしても、この段階で監督を交代した日本サッカー協会は、ハリルホジッチの仕事をどう評価し、監督を変えることでどこが修正され、上積みされると考えているのか。それとも単に「コミュニケーションの問題」だけなのか。ハリルホジッチが日本サッカーをどう分析し、どうやって、どこへ導こうとしていたのか。それを協会や田嶋会長は理解できなかった。まさにそれが「コミュニケーションの問題」。

ハリルホジッチの仕事を正面から分析・総括し、後代の戦略的・戦術的検証や知見の積み上げに寄与する。・・・それが本書の目的です。(P5)

 そして「はじめに」で書かれているとおり、それが本書の目的。本書がもう少し早く出版されていたら、監督解任はなかっただろうか。補遺として添付された「霜田正浩の証言」を読む限り、霜田前強化委員長はハリルホジッチの意図を理解していたようだから、やはり協会内の「コミュニケーションの問題」か。

 本書を読んで初めて、ハリルホジッチの言う「デュエル」の意味が分かった。そしてデュエルを支えるフィジカルだけでなく、メンタルとタクティクスの重要性。第一部と第二部の間には、「intermission 幻のハリルホジッチ・プランを想像する」という記事が載っている。グループリーグ3連戦をハリルホジッチならこうした戦略で戦っただろうという想像のプランだ。そこには、各国の弱点をどう攻略し、勝利に導くかというプランが綴られている。もちろんハリルホジッチが実際そのように戦ったかどうかはわからないが、やはりW杯でハリルホジッチのサッカーを観たかった。解任するのはその後でよかった。

 ハリルホジッチからは2016年に「日本のフットボールアイデンティティをつくる」ための資料が提出されていたという。強化指針、指導指針であり、選手の判断材料でもある「資料」。しかも紙だけでなく映像でも作られている。そして選手個人への指導やコミュニケーションにも熱心だったという。W杯後、協会はその結果をどう分析し、次につなげていくのだろうか。たぶん今回の監督交代で日本サッカーの進歩は大きく遅れることになるだろう。実に残念だ。僕らはいつまでサッカー中流国に甘んじていなければいけないのか。

 

 

○敵の強大さにひるまないメンタル、その戦いに耐えるフィジカルが必要だと。そのデュエルを活かすソリューションとしてのタクティクス(戦術)は、既に用意してある、と。/就任以来、日本代表にも重ねて向上を要求していた、「メンタル・フィジカル、タクティクス」。・・・アルジェリアの選手たちはそれに応え「戦術的デュエル」をやり抜き、覇者となるチームを土俵際まで追い詰めたのでした。(P56)

○1試合の中で多様な状況遷移が生じる現代サッカーでは、その変化の中で不可避的に出現する組織の穴や、仮想フィールド外を守るための1対1が必然的に発生する。そのデュエルに勝つこと・負けないことが、チームを戦術的にだけではなくエリア戦略的にも守ることになるし、攻撃側からすれば相手の組織を破壊するチョークポイントになるのです。・・・こういった「戦術的デュエル」、いまや原理的にそれが求められる世界の状況は、「日本人選手に合わない」「避けよう」といって避けうるものでしょうか。(P112)

ハリルホジッチが招聘された理由は、もとより「どこかのエリアだけ」にとどまらない多彩なエリア戦略を採れるチームを作り上げること、日本サッカーにそのような戦略的・戦術的多様性と柔軟性をもたらすことでした。・・・今となっては詮無いことですが、このグループリーグ最終戦は・・・日本サッカーにとって、まさに現時点での集大成といえる試合となったに違いありません。(P144)

ハリルホジッチの真意が「縦に速く」などではないことは明らかです。なぜ、このような間違った言葉、イメージが一人歩きしていたのでしょうか? ハリルホジッチ自身、また彼をサポートしなければならない技術委員会は、このような誤解が起きないよう、メディアや選手たちと必要なコミュニケーションを取れていたのでしょうか?/今考えると、これは致命的なコミュニケーション不全だったように思われます。(P192)