とんま天狗は雲の上

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議会とは何をする場なのか

 熊本市議会で、のど飴を口に入れたまま質疑を行っていた市議に対して、議会が紛糾。審議が8時間も中断された末に、結局、1日間の出席停止処分になった。TVのワイドショーでは、国連総会に生後3か月の乳児を抱いて出席したニュージーランド首相の件を報じながら、緒方市議の行動や熊本市議会の対応について問題提起をしていた。熊本市議会の状況については現場の状況をツイッターで報じた市議もいて、この田上市議に対する批判もあったようだが、そのコメントを読む限り、市議会としてはやむを得ない対応だったようにも感じる。

 「8時間も中断した」ということだが、市議会として不要不急の議題があったわけでもなく、議会として8時間の中断も止むなしとしたのであれば、それを外からとやかく言う必要はない。質疑中にのど飴を服用すること自体は、私は個人の自由であると思うが、しゃべりにくい、聞き取りにくいといった問題はあろうかと思う。のど飴服用を注意した議長はたぶんその行動自体をまずいと思っただろうが、冷静に考えれば、「のど飴を服用したままでの質疑については、不愉快に感じたり、聞き取りにくいといった議員もいるかと思いますが、それでもかまいませんね」と確認し、自由にさせる手もあったかなとは思う。

 また、昨年、議場に乳児を抱いて着席したことも、やはり他の議員への配慮が欠けた行動だと思うが、彼女はたぶん恣意的にそういう行動を取りたいのだろう。ニュージーランドのアーダーン首相について言えば、国連の会議の間はパートナーの男性が子供の面倒は見ていたとのことだし、田上市議によれば、昨年の乳児同席の際も、緒方市議は子供の世話をする女性がいたとのことだから、これはもう確信的な行動と言わざるを得ない。

 議会とはどういう場なのか。本来はさまざまな意見の議員が集まり、それぞれの意見を披露し、それぞれの譲歩も含め、調整し合意を得る場ではないかとは思うが、実際にはそんなことはできるわけもなく、結局、それぞれの主張を出席した議員や傍聴者、さらにマスコミ等を通じて市民・選挙民に向けてアピールする場となっている。ならざるを得ない。先日の国連総会でもそうだった。

 その場において、他の議員のパフォーマンスに影響を及ぼす行為は慎み、お互いのパフォーマンスを尊重し合うのが礼儀であり、マナーだとは思うが、ヤジを飛ばすなど、それができない議員もいて、そうした他者を尊重できない議員については、その行為も含めてパフォーマンスの場となっているのだと思う。結局、のど飴を舐めようが、食事をしようが、ヤジを飛ばそうが、子どもが号泣しようが、自由にすればいいが、そうした議員を選出するのも市民であり国民だということだ。私は他者を尊重できないような人間が議員になることには反対だが、それが民意であるなら仕方がない。そんな国の国民であることに絶望しつつ、与えられた環境の中で生きていくしかない。