とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

永遠のファシズム

 本書は1998年に単行本として刊行されたものの文庫化。既に20年も前の出版ながら、今、ファシズムの危機に関する論評を文庫化するというのは、やはり現在の政治状況・国際状況に対する危機意識、警鐘を鳴らすという意図を出版社として持ったということだろうか。実際、20年経つというのに、内容的には全く色褪せない。と言いたいが、新聞に関する論考「新聞について」だけは、やはり現在の新聞が置かれた状況からすればやや時代遅れの感はある。それでも将来における新聞の危機をこの時点で明確に指摘している点は「さすがエーコ」とその慧眼をほめずにはおれない。

 単行本解説で、大司教との公開往復書簡「他人が登場するとき」から読み始めれば、「残りの4篇も軽快に読むことができるだろう」と書かれていて、それならそういう順番にしておいてほしいと思ったが、各論考の順番は雑誌等への掲載順。最初に読んだ「戦争について」は久しぶりにウンベルト・エーコを読む、それも小説以外では初めてこの種の論文を読む者としては、やや難解だった。続く「永遠のファシズム」はアメリカでのシンポジウムの講演録ということもあり、ムッソリーニ政権下の庶民の意識や政治状況などから説明があって、また「ファシズムへの警戒・警鐘」という意図もはっきりしており、比較的読みやすかった。

 先に読んだ「正義とは何か」でも感じたが、この種の書物は、筆者が何を言わんとしているかをある程度頭に入れてからでないと、なかなか理解が進まない。だがその勘所が理解できると、筆者のウィットなども理解できるようになり、楽しく読み進められるものだ。

 本書には、前3編の「戦争」「ファシズム」「未信仰者の倫理」の他、「移民・移住」、「原理主義と不寛容」、「規範の相違」をテーマとする小論考が掲載されている。いずれも、今もなお、いや今でこそ、大きな問題となっている事柄ばかりだ。今さらながらエーコの先見性に驚かされるとともに、指し示す方向性の正しさにも強く心を揺さぶられる。今の時代においてこそ、<慈悲>、<賢明>、そして<寛容>が強く求められる。

 

永遠のファシズム (岩波現代文庫)

永遠のファシズム (岩波現代文庫)

 

 

○戦後の政治とは、つねにどんな場合でも、戦争によって定められた約定を……継続することにあった。……それが敵対する両者の意志に完全に合致することなどありえない以上……そこから生まれるのは「闘われる政治」以上のなにものでもありえない。(P19)

ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。ファシズムは<ファジー>な全体主義だったのです。ファシズムは一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体でした。……初期のファシズムは共和主義を唱え……王家に忠誠を誓うことで生き延びたのです。(P40)

○原ファシズムにとって、生のための闘争は存在しないのです。あるのは「闘争のための生」です。すると「平和主義は敵とのなれ合いである」ということになります。……平和主義が悪とされるわけです。こうした考え方がハルマゲドンの機構を生むのです。敵は根絶やしにすべきものであり……こうした<最終解決>のあとには、平和な時代が到来することが前提とされます。ですが、その黄金時代は、永久戦争の原理と矛盾するものです。(P54)

○倫理というものは他人が登場することからはじまります。…わたしたちを定義し、形づくるのは、他人であり、その視線なのです。……他人の役割を認識すること、つまり他人のなかにあるわたしたちにとって拒絶不可能な欲求を尊重することが必要だと分かるようになったのは、千年をかけた成長の賜物なのです。(P126)

○信仰を持たない者は、だれもかれを高みから観る者などいないと考えていて、……しかしながら、かれらは……公の告解……他人の赦しを求めるでしょう。……したがって前もって他人を赦す必要があることを知っています。……ですからわたしは、基本的な点において、自然の倫理……は、超越性の信仰に根ざした倫理学的原理と一致すると考えています。……そして信仰の衝突においては、<慈悲>と<賢明>とが勝利しなければならないのです。(P132)