とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

社会の真空化、日本の真空化

 今年もいよいよ終わろうとしている。残り2週間。今年も年末には今年読んだ本を振り返る「私の読んだ本ベスト10」を書こうと思っているが、その中でも「E=mc2のからくり」は面白かった。何が面白かったといって、「真空」の意味について実感できたという点。「実感」というと大袈裟だし、単に私がこれまで「真空」の意味について理解していなかったということに過ぎないが、改めて書くと、「真空とは質量をもつ物質粒子が一つもない空間」のこと。「物質でないものなら、真空に存在」してもよく、電磁波などの「場」が存在している。何かすごくないですか。

 これを我々の社会の中で考えると、例えば今、日本は人口減少時代に突入している。「人間」が「物質」だとすると(いや、実際、物質ですが)、それがどんどん希薄になってきている。でも、日本列島という国土は減少していかない。人間が日本列島から一人もいなくなれば、日本列島は真空状態になってしまう(そういえば昔「真空地帯」という小説があったけど、私は読んでいないので内容は知らない。Wikiによれば「軍隊」を「真空地帯」と表現していたとのこと。でも、今回の記事とは関係ないかな)。

 列島全体とまでいかなくても、現在の日本では、過疎化などで空気(人口密度)が希薄になりつつある地域もかなり出現している。人は住まなくなっても、土地は残っている。都市の空き地や放棄農地、手入れされない森林などが問題となっているが、だからと言って、それを誰かに譲ろう、例えば中国やロシアにあげよう、とは誰も言わない。北方領土竹島などの領土問題に対しては断固反対の意見の方が圧倒的に多い。管理できない個人の資産であれば、売り急いだり、相続放棄などを検討するというのに。

 でも、物質がなくても「場」は存在する。人間はいなくても、領土は存在する。土地(やその周囲の領海)は資源となる。ただ、利用できる人間がいないだけ。だったら、人間に代わってロボットが利用すればいい。AIに任せればいい。そして物質である「人間」は、領土のどこかにいて、彼らを操作し、土地を支配する。人口減少がさらに進めばそういう未来が待っているのだろうか。

 だが、AIを導入する前に、外国人が住み着いて、利用を始めたらどうなるんだろう。外国人と言っても、役に立つなら、永住も認めようというのが今回の移民法の趣旨だったっけ。顔付や肌の色が多少違っても同じ人間だし、日本語だってどんどん変化しているし、たぶんそうなるのだろう。

 会社だって同じこと。先日お会いしたコインランドリーを経営している会社の方の話によれば、極力社員は少なく、AIなどを活用して、遠隔操作でコインランドリーの制御をしていると言う。「一番、人手がかかるのがお金の回収なので、ネット決済の普及は本当に助かるんです」と言う。なるほど。昨今のネット決済・スマホ決済の普及、キャッシュレス社会への移行というのは、そういう意味だったのか。そして会社もどんどん真空化が進む。

 いや、真空を批判しているわけではない。密集しているよりも、程よい距離間があった方が気持ちがいい。そして人類は次第に人間間の距離を離そうとしているように感じる。特に日本においては。そんな日本の真空化、社会の真空化の動きをボクらはどう考えたらいいのだろうか。忘年会のシーズン。狭い居酒屋で身体を寄せ合い、この問題について話し合うことにしようか。