とんま天狗は雲の上

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勤労の義務

 日本国憲法で定める国民の三大義務と言えば、「教育を受けさせる義務」、「納税の義務」と「勤労の義務」だ。前ふたつは理解できるが、なぜ勤労も義務なのだろうか。ちなみに義務教育というから、「子供は勉強しなければいけない。勉強するのは子供の義務です」みたいに思っていた時期もあったけど、これは間違い。親や社会に対して、子供に「教育を受けさせる義務」がある。「親や社会」と何気なく書いたけど、本当は誰の義務なのだろう。両親ともに早く亡くなることもあるだろうし、親としてふさわしくない者だっているかもしれない。「親の義務」と強調することは、却って「子供の健全な教育」を阻害することもあり得る。ここはやはり、国民が集まって形成する「社会」にとっての義務と解するべきだろう。

 それでは「勤労の義務」は? もちろん勤労するのは「国民」。でも、障害などがあって勤労できない人もいる。一方で、莫大な資産を相続して、勤労する必要がない人がいるかもしれない。変に勤労されると困る種類の人もいるかもしれない。ネットで検索すると、「勤労の義務は不要だ」とする研究者もいるらしい。社会主義国では「国家は国民が平等に労働することによって形づくられる」という考えから、憲法で位置付けていることが多い。なるほど。資本主義国のなかでもヨーロッパ諸国ではキリスト教的思想から「勤労は神のご意志」とされることもあるようだ。では日本では?

 Wiki「勤労の義務」を読むと、勤労の義務も、国民ではなく、国家や社会にたいする義務として解釈する意見が多くなりつつあるそうだ。「勤労したい人に労働の機会を提供する義務」。なるほど、それなら理解できる。きっと憲法学者などは、こうした検討・研究を日々しているのだろう。翻って、自民党改憲案は「勤労の義務」についてどう考えているのだろう。で、調べてみると、これが何と、「すべて国民は・・・」を「全て国民は・・・」と漢字表記にしただけ。なんと!? 結局、自民党改憲論者たちは「勤労の義務」とは誰に対するどんな義務だと考えているのかな。まさか、外国人労働者の義務、なんて思ってないよね。