とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

スッキリ中国論☆

 「スジの日本、量の中国」という副題が付いている。その一言で全ては説明尽くされる。もちろん個人で差はあるが、これこそがそれぞれの社会のクセであり、行動原理である。私には中国へ行った経験も中国人の知り合いもいないから真偽の判断はできないが、筆者が経験した具体的な事例を説明されると、確かにそうなのだろうと思える。

 「爆買い」を批判するのは日本が「スジ」社会だからで、中国人にとってみれば、安いものを買って本国で売り捌けば儲かるというだけのことであり、そのことにプロもアマもない。確かにそのとおりだ。仕事やサービスで稼ぐのではなく、新しい仕事を立ち上げることで株価が上昇し、それによって儲ける。「仕事」で稼がず、「投資」で稼ぐ。その実例も衝撃的だ。その結果、中国ではITアプリを使ったサービスがあっという間に広まる。筆者が紹介する中国内の旅行のスムーズさはどこの国の出来事かとびっくりする。一方で、その弊害もしっかりと指摘する筆者の見識は確かだと思わざるを得ない。

 日本にいると、ウヨクなどが流布する中国観に惑わされそうになるが、一方で、中国人は中国政府の動向も踏まえつつ、したたかに行動をしている。そしてビジネスの世界では日本も中国なくして成り立たない状況になっている。本書を読んでいると、日本人はビジネスの世界ではとても中国人にかなわないような気がしてくる。日本人得意の「こだわりの世界」を追求していくことでわずかに生き残ることができるだろうか。たとえ経済的に貧乏でも幸せに生きる術を知っている。それが日本人の美徳であり、生き方なのかもしれない。

 

スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

スッキリ中国論 スジの日本、量の中国

 

 

○さまざまな状況に直面した際、「スジ」の社会は理屈通り、ルール通りに反応する。「量」の社会はその場の状況に応じて、その人が最も合理的だと思うやり方をとる。その際の判断基準は「現実的な影響の大小」なので、対応は人によって幅が出る。……一方でこうした「量の社会」の思考方式は「詰めた話」が苦手だ。……ひと言でまとめれば、常に規範を重視し「こうあるべき」を目指す理念追求型の日本人、現状に即した臨機応変な合理性を重視する現実主義の中国人―と言えるかと思う。(P035)

○中国社会の「法治観」には一つの前提がある。それは「社会には必ず国民の上に立つ統治者が存在している」ということである。/日本を含むいわゆる議会制民主主義の国々では、社会を管理しているのは国民、つまり私たち自身である。……ところが、中国の社会はそうではない。……古代から今に至るまで、中国には常に「支配者」が存在し……統治を行ってきた。……「社会をよくする」「社会正義を実現する」のは……統治者の義務である(P096)

○テンセントの狙いは配車アプリというサービスで稼ぐことではなく、配車アプリに投資することで決済サービスの利用者を増やし、株価を上げることにあった。タクシーを配車するという「仕事」で稼ぐのではなく、そこに「投資」することで自社の価値を上げる。そういう考え方である。(P137)

○中国人は自分が会社の中でそれなりのポジションになった(自分の市場価値が上がった)ら、そこで辞めて(利益確定して)、他のもっと成長性のある会社(仕事)に乗り換えるという行動を取りたくなってくる。つまりすでに高値圏にある株は売って、より株価上昇余地のある投資先に乗り換える―ということである。常にトレード的な発想で人生を構築していく発想に親しんでいる。(P175)

○今後、社会におけるIT化、デジタル化はさらに劇的に進み、一人ひとりの個人が、自分の得意技を活かしつつ、時間や空間の壁を超え、協力し合って仕事を進めていく時代に、世界中がなっていくだろう。そういう時代に、「個」を核とした中国社会の生き方は親和性が高く、変化に対する適応力が強い。……個人が個人として働きやすい環境は、実は中国社会の方が日本を超える速度で整いつつある、ように見える。(P333)