とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ミッテランの帽子☆

 フランスでは現在、ミッテランはどう評価されているのだろう? フランスでの有権者調査によれば、戦後の大統領で最も偉大な人物として、ドゴールと並んで第2位に挙げられているそうだ。

 ミッテランが大統領になって5年後の1986年、右派政治家シラク首相との第1次コアビタシオン保革共存)から1988年に大統領に再選されるまでの間、ミッテランの帽子は大統領の手を離れ、4人の人物の間を流浪していた。彼らがミッテランの帽子を手に入れていた間、彼らの人生にとって大きな転機が訪れた。ダニエル・メルシエは会議で上司にしっかりと自分の意見を伝え、出世への階段を上る。ファニー・マルカンは腐れ縁の愛人と別れ、その顛末をテーマに書いた小説で文学賞を受賞する。ピエール・アシュランは8年ぶりの香水の新作を発表し、好評を得た。そして、保守資産家であったベルナール・ラヴァリエールは上流階級から離れ、新興の左派実業家・芸術家との親交を深め、ジャン=ミッシェル・バスキアの絵画を入手して、さらなる資産を積み増した。

 そして、最後に再びミッテランの下に戻った帽子は、彼に大統領の再選と左派政権樹立をもたらした。ミッテランの手によってグラン・プロジェが遂行され、パリの街は変わり、EUとユーロ創設への道が始まった。

 本書はミッテランを描いた小説ではないだろう。ミッテランの帽子が関わった人々に幸福をもたらした。人生とはささいなことで変わる、とも言えるし、そんなラッキー・アイテムを手にしたいと思う人々の心をくすぐる。ラッキーが私にも届かないかしら、というささやかな願望。そしてこの小説がヒットした背景には、80年代後半の心温まる懐かしき時代への郷愁があるのかもしれない。おしゃれでウィットに富み、心和むあのミッテランの時代。そんなおしゃれで楽しい小説でした。

 

ミッテランの帽子 (新潮クレスト・ブックス)

ミッテランの帽子 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

○もしダニエルが家に帰って自炊することを選択していたのなら、もし別のブラッスリーを選んでいたのなら、もし支配人が空席を持たなかったのなら、もしそのテーブルの客がキャンセルをしていなかったのなら……人生の重要な出来事はいつもささいなことの連鎖の結果である。……銅のバーを見上げると、帽子があった。フランソワ・ミッテランが帽子を忘れた。この言葉が心の中で形を持つとくねくねと動き始めた。これはミッテランの帽子だ。(P21)

○ダニエルは……帽子を触りながら部屋の静けさを味わった。目を閉じる。幼少の頃からずっと感じ続けていた不安の虫が顔をのぞかせることは一度もなかった。むしろ逆に穏やかな落ち着きを感じていた。……とても気分が良かった。……帽子だ。……ダニエルは確信していた。帽子をかぶるようになってからというもの、それが存在するだけで、日常の心配ごとから解放された。帽子はダニエルの精神を研ぎ澄まし、重要な決断をするよう促した。(P29)

○しかしもう、あの帽子は手元にはないのです。私もあの帽子に個人的な愛着を持っていたので、とても残念なのですが。人生とはこんなものです。モノは過ぎ去り、人と香りは残ります。(P112)

○これらすべては誰によるものか。もちろんミッテランをおいて他にはいまい。……ミッテランは時代に名を刻み、歴史と現在に名前を残すことができた。ルーブル美術館の前にガラスのピラミッドを置き、パレロワイヤルの中庭にストライプの柱を埋め、凱旋門の一直線上に新たな凱旋門を建てた。これらの構想は完全に因習打破の反保守的な意思によって成し遂げられた。パンクぎりぎりの綱渡り。(P139)

○覚えてるかい……「小さい馬のこと……」、ヴェロニクは微笑んだ。……その日の午後、ボヴォロにガラスの馬を隠したのだ。……ダニエルは……滑らかな小さなオブジェを挟まれた場所から引っこ抜いた。……小さなガラスの馬は隠れ家でひっそりと彼らの帰りを12年間も待ち続けていたのだ。そう思うだけで、感情がいっぺんに押しよせて来た。ダニエルは……妻を腕の中に抱きしめた。その瞬間、風が吹き……目を開けると、帽子はもう石の手すりの上になかった。(P169)