とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街場の文体論

 図書館に予約した本の順番がなかなか回ってこない。それで前に一度読んで感銘を受け、文庫版が発行された際に購入した本を読み返してみた。前に読んだ時の記録はこちら。いつも特に記憶に留めたい文章を引用して書き残しているが、6年半経っても引用する部分はあまり変わらない。それは、この本の肝がそこにあるからなのか、はたまた私が進歩していないからなのか。

 最終の第14講に書かれているとおり、この講義の目的・テーマは「生成的な言語とは何か?」。そしてその答えは「情理を尽くして語る」言葉、「届かせたい」という切迫や必死さがある言葉。これが「届く言葉」であり、「生成的な言語」とは「魂から出る言葉」「生身から生まれる言葉」である。とは言っても、それを実践することはそう簡単ではない。そのことを説明するために、ソシュールを説明し、ロラン・バルトブルデューを持ち出し、ラカンレヴィナスを引用する。日本語の言語構造や日本の文化構造を語り、そして言語がいかに人間を縛っているかを説明する。

 でも重要なことはそこから逃れることではない。重要なことは縛られていることを自覚すること。そしてそのことを身体化すること。そうした時に初めて、檻を出し抜くことができるかもしれない、と内田氏は言う。でもたぶんそんなことは無理なので、我々にできるのはせいぜい、「我々は日本語の檻に囲まれ、呪縛されている」ことを理解し、自覚しておくこと。それも日常的にはすぐに忘れてしまうだろうし、難しいだろうが、こうして読み返した時くらい、たまには思い出そう。人間とはそれほどにも小さく、自分のことすら思うようにならない、限られた存在だということを。

 

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)

 

 

○情理を尽くして語る。僕はこの「情理を尽くして」という態度が読み手に対する敬意の表現であり、同時に、言語における創造性の実質だと思うんです。/創造というのは、「何か突拍子もなく新しいこと」を言葉で表現するということではありません。……言語における創造性は読み手に対する懇請の強度の関数です。どのくらい強く読み手に言葉が届くことを願っているか。その願いの強さが、言語表現における創造を駆動している。(P19)

○今の日本のような、地殻変動的な社会の変化が起きているときは、むしろ最大集団のほうが環境に適応できなくなっている可能性がある。……マジョリティが危ない方向に向かっているとき、生き延びるためには、みんなは「向こう」に行くけど、自分は「こっち」に行ったほうがいいような気がするという、おのれの直観に従うしかない。そういう危機に対する……センサーを研ぎ澄ますためのきわめて重要な訓練が「ものを書く」ということなんです。(P40)

○むずかしい専門的な話を……市民の日常的なロジックや語彙で言い換え、わかりやすい喩え話を探し出す……人間がいて、……この仕事をそれなりに評価する文化的な文脈が日本にはある。その理由は……日本文化が「外来のハイブラウな文化」と「土着の生活実感」の二重構造になっているからです。……こういう「ブリッジ」仕事って、日本という「辺境」の知的風土に固有のものじゃないかという気がします。(P143)

○メタ・メッセージのもっとも本質的な様態はそれが宛て先を持っているということです。……そのとき受信者は「私は存在することを求められている」という確信を得ることができます。……「あなたはそこにいる。そして、あなたがそこにいることを私は願っている」。一神教信仰の起源にある主の言葉は、つきつめて言うと、この一文に凝集されると僕は思います。……人間はその贈与への返礼として、同じ言葉を神に返した。その瞬間に一神教信仰が成立した。(P181)

○地場の言語の上に、外来言語が載っている。こんなフレキシブルで使い勝手のよい言語は、世界でも類例を見ないものだろうと思います。/でも、逆から言うと、日本人はこの二重言語構造によって深く、決定的に呪縛されている。……僕たちにできるのは、せいぜい自分の思考も感覚も、すべて一種の民族誌的偏見としてかたちづくられている「病識」を持つことだけです。それしかできない。でも、それができたら上等だと僕は思います。(P264)