とんま天狗は雲の上

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「三密」→「八(七)割減」の次は、「週一」?

 「クラスター」「オーバーシュート」「ロックダウン」とカタカナ語を乱発して批判を浴びた後は、カタカナ路線はやめて、数字を提示するやり方に変えたようだ。その代表が密閉・密集・密接の「三つの密」。いわゆる「三密」だ。「三密」自体を批判するつもりはないが、「満員電車こそが三密の最たるものじゃないの?」という疑問に対しては、「密閉・密集であっても、会話がないから密接じゃない」という意味不明な説明があって、でも結局、20~50代で発症者が続出している東京の状況を見ると、満員電車こそが「三密」の代表例だったのではないかと思わざるを得ない。

 花見会場は強制的に立ち入り禁止としたが、郊外の公園は「密閉ではないだろう」と多くの人が集まっている。また、休園中の屋外レジャー施設も多いことから、規制がかからない登山やハイキングが密かな人気となっているようだ。しかし、札幌大通り公園の雪まつりで多くの人が感染したことを考えると、「密閉」よりは「密集・密接」の方が危険度は高いように思われる。「3つの『密』が重ならないように」というが、本当は「3つの『密』のいずれかに該当するような場所や機会は避けて」と言うべきではないか。そうすれば当然、満員電車はアウトということになる。

 そして、先週から多く耳にするようになったのが「人と人との接触 8(7)割削減」という言葉。当初、専門家会議は「8割」と言い、その後の首相会見では「7割」に削減されたが、いずれにせよ達成困難なことは先の記事「在宅勤務のできる人はざっと4割。これでは接触8割削減は無理では?」に書いたとおり。しかし、政府にとっては、「三」とか「八(七)」と数字を示すことに意味があるのだろう。「『人と人との接触 8割減』というけれど、どうやって計測するのか? 結局それは自己責任のための言葉ではないのか」では、「8割というのは、感染を感染者の自己責任とするために設定した数字ではないか」と書いたが、もちろんそのためには、数字は高ければ高いほどいい。

 しかし数字の高低に関わらず、数字を示されると、それを目標に努力してしまうのが日本人の性。もちろん、「人との接触は避けろ」というのは、「三密」の一つ、「密接」として提示していたことだが、「満員電車は密接ではない」と説明してしまった以上、同じ言葉は使えない。それで新たなスローガンを持ち出してきたのではないか。「外出自粛」と言いつつ、休業要請に踏み切れない政府にとって、「人と人との接触 7割減」という言葉は最適だったのだろう。

 だが結局、病院等で集団感染(クラスター)が発生し、感染の拡大が止まらない状況になっている。今、感染危険性の最も高い場所は病院だが、在宅勤務や自宅待機を続ける庶民が次に集まるのはスーパーマーケットやコンビニだ。しかし生活必需品を販売するこれらの店舗を閉めるわけにはいかない。そこで、次に打ち出すスローガンは何かと言えば、「週一」ではないか。「外出は週1回にしましょう」という意味だが、出勤や買い物も含めて、外出は週1回に制限する。ここまで来ると「ではスーパーやコンビニの店員や輸送運搬に従事する人、また医療関係者等はどうすればいいのか」と思うが、たぶん安倍政権は、「(上級国民は)週一」と暗に( )内は伏せてスローガンを打ち出すのではないか。現に「接触7割減」にも「(上級国民は)接触7割減」と( )が隠されていることを、例のツイッター動画で明らかにしてしまったではないか。

 結局、われわれは「自分の命は、自分で考え、守る」ということに尽きる。政府も専門家会議も(上級国民や医療関係者の命は守っても)庶民の命は守ってはくれないのだ。そう思って生きるしかない。下記のYouTubeへのリンクをもう一度張っておこう。

 「自分で考え いのちを守れ! 新型コロナと闘う その先の未来へ:デモクラシータイムス」