とんま天狗は雲の上

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人類はなぜ<神>を生み出したのか?☆

 前著「イエス・キリストは実在したのか?」は興味深く読んだ。イエスは実在したが、彼をキリストにしたのはパウロだという説はこれまでもあったが、このことが実に鮮やかに描かれ、面白かった。本書にも前著と同様の面白さを期待したが、そこまでではない。何と言っても、全335ページ中、112ページが参考文献や原注に割かれている。池上彰の解説はやや余分だが、210ページにわたる本文は、しっかりと筋が通って、わかりやすい。

 当初、タイトルで言う<神>とはキリスト教の<神>、ヤハウェとかエホバとか呼ばれる存在を指しているかと思ったが、そうではなく、キリスト教に留まらず、ユダヤ教イスラム教、そして仏教やその他の宗教も含めて、「なぜ人類は<神>を生み出したのか」というテーマで本書を書いている。そしてその答えに向かって、最新の研究なども繰り出しつつ、論理的に積み立てていく。

 例えば、眠りの中で死んだ者たちの夢を見た時、死んだ後も存在し続ける精霊を想像しなかっただろうか。幼い頃、ざわめく樹木の動きや幹の模様をまるでそこに人間がいるかのように感じて恐れおののいた経験は誰しもあるはず。こうして世界を人格化させた人間は、世界を創造したとする神々をも人格化してしまう。

 複数の神々が活躍する世界の中から、一人の最高神が生まれる過程の考察も面白い。善も悪も背負う最高神が持つジレンマを解決したゾロアスター教の二元論。一方で、民族毎の神を認める単一神教。だが、部族衝突により大敗北を喫した時、イスラエル民族の中で革命的な一神教が生まれた。ユダヤ教だ。

 さらに、ローマ帝国が揺れ動く中で、三位一体の<神>が誕生する。しかしそれは聖職者会議での議論によるものであり、その後も現在に至るまで様々な宗教論議が続き、また多くの宗派が生まれた。一方、同じ<神>を奉じつつ、新たな宗教が生まれた。イスラム教だ。最後は、筆者自身が信仰するイスラムの中に落ち着くのだが、筆者はそれを「<神>は存在するすべてのものに偏在している」(P201)と書く。そしてあなたこそが「<神>の仮姿」だと言う。すなわち、<神>はまさに人類そのものであり、あなた(わたし)自身であり、あなた(わたし)が<神>を生み出したのだ。

 <神>に何を期待するのか。日本人はどうしてもそう考えてしまう。しかしそうではなく、<神>は既に遍在しているのだ。そしてそれを見出した時、そこに<神>はいるのである。人類はそうして<神>を生み出したのだ。

 

 

○彼は眠りに落ち…夢の中で死んだ身内の者…に駆け寄る。…彼らは実際には死んでいないのではないか。…蝕知できる存在として別の世界にいるのだとアダムは単純に推測しないだろうか? 死んだ者の魂は肉体が亡びたずっと後になっても精霊として存在し得ると、アダムは当時推断していなかったであろうか?…宗教の始まりとは、このようなものだったに違いないとタイラーは推断している。(P42)

○私たちの「心の理論」は、生来、私たちが遭遇するものは何でも、“人格化”させたがる。…そうする中で、私たちは世界を人格化してしまうだけでなく、世界を創造したと私たちが考える神々をも人格化するのである。…人間の姿をした神々を想像し、自分たちがその神々自身と同じ身体的、心理的資質を共有していると主張することによって、人類を自然界のその他のものとは異なる存在と見るようになった。(P77)

ユダヤ人の間に一神教を導入したのは、換言すれば、バビロニア人の手によるイスラエルの悲惨な敗北を合理化するためだった。…一つの部族とその神が…一体なのなら、一つの敗北は他方の終焉の警鐘を鳴らす。バビロン捕囚で苦しむ一神教的信仰を持つ改革者たちにとって、一つの民族として自分たちの神と自分たちのアイデンティティを諦めるよりも、報復心に燃える矛盾だらけの神を考え出すほうが好都合だった。(P157)

スーフィーたちは…神的存在との合一を主張していたのだ。…スーフィーにとって、キリスト教徒の過ちは…<神>はたった一人の、他に類例のない特定の人間であると信じることにあった。…もし<神>が本当に不可分であるならば、<神>は全存在であり、全存在がすなわち<神>である。…<神>は存在するすべてのものの造物主なのではない。/<神>は存在するすべてのものに偏在しているのだ。(P201)

○肉体とは別個の魂への信仰は人間の普遍的特質である。それは私たち人間が持つ最初の信仰で…その信仰が<神>への信仰を生み出したのである。…<神>を信じるか否か。<神>をどう定義するかはあなた次第だ。…<神>を恐れる必要はない。/あなたは<神>の仮姿なのだから。(P208)