とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ぼくたち日本の味方です

 図書館が閉鎖されて、ついに手持ちの本を読むしかなくなった。本書は2015年に文庫版が出版された際に購入したのだが、「文庫版のためのまえがき」を読んでショックを受けた。なんと「どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?」のタイトルを変えて再発行されたものだった。ひどい! まえがきに「二度買いしないでくださいね」と書かれても、もう買ってしまった後ではどうしようもないじゃないか。ネットで買うと、こういうことがある。あまりのショックで、そのままこれまで読まずに放っておいた。

 しかし、新型コロナウイルスである。本書は、東日本大震災を挟んで、前2回、後4回。都合6回に渡って行われた内田樹高橋源一郎の対談を収めたものである。加えて、司会は渋谷陽一。3人の鼎談と言っていい。東日本大震災の後、「これで世界が変わる」と人に言ったことがある。しかし現実は何か後戻りしたような気分。本書の対談前に民主党政権に替わって、親父による父権性の政治から、橋下徹に代表される「兄ちゃん」の政治に変わったということが語られているが、結局、橋下徹の勢いも長続きはせず、再び安倍政権に替わり、それが今も続いている。

 安倍政権が父権性の政治かと言うと、戦中派による面倒見の良さといったものは消え失せ、サル山のボスが独り占めするような悪い意味での「兄ちゃん」政治になっているような気もする。今回のコロナ禍は、いよいよ本当の意味でのOSに書き換えを起こすだろうか。それとも書き換えることができないまま、世界から取り残される現実に直面するのだろうか。

 本書最後の「総括対談」では、「お兄ちゃんに勝てるのはお母さん」と言っている。コロナ禍でお兄ちゃんにできたのは、出来の悪い布マスクの配布やケチくさい給付金の支給程度のこと。そしてコロナ対策も国民を守るのではなく、医療関係者を守ることを第一にしてきた。しかし、いち早く手製で布マスクを作ったのは「お母さん」だったし、検査の必要性や医療崩壊への危機を訴え続けたのは白鴎大学の岡田晴恵教授。そしてドイツはメルケル首相、台湾は蔡英文相当の下で、感染対策における優等生ぶりを示した。同様に、ニュージーランドフィンランドアイスランドといった各国も女性が指導者となっている。(「新型コロナ対策で“成功”している指導者に女性が多いのはなぜだろう:論座」参照)

 やはり「お兄ちゃん」ではダメだ。お兄ちゃんはしょせん身内しか守ってくれない。しかもまずは我が身第一。それに対して、母親の愛は偉大だ。無理に攻めることなく、まずはしっかり守る。日本も今後、人口減少が続き、退却戦が強いられる状況の中では、「お母さん」政治こそが求められるのかもしれない。だからと言って、小池都知事がいいとは思わないんだけど。

 

ぼくたち日本の味方です (文春文庫)

ぼくたち日本の味方です (文春文庫)

 

 

○【内田】「人間って簡単に壊れる」っていうのが、戦中派の思考のいちばん根底にあるものだと僕は思うんだよ。人間って、結局この生身の身体を使ってしか動くことができない。…【高橋】戦中派がこのシステムを作った。…でも、あとから来た人間は、自分が作ったシステムじゃないから、杓子定規に使うしかない。だから劣化する。(P54)

○【内田】日本の中央のマスメディアの論調って、ほんとに狭い、ある階層の、ある社会集団の人たちの意見しか反映してないじゃない。それが日本の世論だ、っていう格好になってるでしょう?/【高橋】うん。だから、琉球新報をよく読んでみると、別に過激なんじゃなくて、実は、こっちが常識的なんだ。「普通の人間が考えることはこんな感じ」っていう。/【内田】東京のマスメディアのほうがずっと非常識だよね。(P178)

○【高橋】政治は変わってないんだね。なんで彼らが言ってることが空虚かって言うと、古いOSでしゃべってるからなんだよね。…【渋谷】国土の保全と国民の健康がまず最初というのは本当に正しいわけで、そこに向かってOSを書き換えなくちゃいけないんだけども、…相変わらず、まだ金のことを言っていたり…【内田】成長なんか、するわけないじゃないの! するわけないことを前提に政策起案するのって、いくらなんでも無責任だよ。(P221)

○【高橋】僕たち人間はみんな負け戦をしているわけ。最後、死んじゃうんだからね。…だから右肩上がりの発想は、自分が不死だという幻想に近いんじゃないかな。…どうやって楽しく負け戦をしていくかってことが、大人の知恵になると思うんだ。(P256)

○【内田】3.11の前とあとではっきり変わったことは、霞ヶ関とか永田町が…「そこそこのこと」さえできないほどに劣化していたこと…。残ったものはマスのスケールのものじゃなくて、ミディアムとかパーソナルとか、ずっと小さなサイズのものだったということなんじゃないかな。とりあえずその小さな集団を基にして、地域限定ではあっても、とりあえずそこだけは条理が通り、社会的公正が担保されている場を作りだしてゆくっていう、手作業から始めるしかないかって思う。(P332)