とんま天狗は雲の上

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「スピード感」って何だ?

 このところ、新型コロナウイルス対策に関わって、カタカナ語などの批判をしてきたが、今回の騒動の前から気になっていた言葉がある。「スピード感」だ。「スピード感をもって取り組みたい」とか使われるのだが、「迅速に」とか「スピーディに」とか、もっと簡単に言えば、「すぐに」とか「早々に」とか言ってはいけないのだろうか。

 ケチをつけるわけではないが、「スピード感」と言われると、迅速(スピーディ)な感じはするけれど、実際は大して迅速(スピーディ)ではないのではないか。実際には大して早くできないし、やるつもりもないけれど、見た目には「急いでいるかのような雰囲気で取り組む」という意味で使っているのではないかと勘繰ってしまう。

 いつから「スピード感」という言葉が使われるようになったのだろう。ネットで検索すると、私と同様「違和感を覚える」というブログもいくつか散見される。「『スピード感』という言葉:教えて goo!」によれば、昭和32年衆議院商工委員会で、競輪の先頭を走る選手を予め決めておくことで「競争にスピード感が加わる」と答弁しているものが最初ではないかと紹介されていた。しかしこれは感覚としての「スピード感」を言っており、必ずしも違和感のある使用例ではない。

 昭和38年の衆議院予算委員会では、自衛隊の騒音問題に対する対応について、「大臣が演説で『今日ほどスピード感の必要なことはない』と言いつつ、3年もかかっているのは『スピード感』か」と糾弾しているが、ここで言う大臣は、当時の志賀健次郎防衛庁長官のことだろうか。とすれば、私が問題にしている「スピード感」という言葉を最初に使ったのは志賀健次郎氏ということでいいのだろうか。それとも、演説で使うということは、既にこうした言い回しが一般的にも使われていたと考えるべきなのか。

 いずれにせよ、今回の新型コロナ対策にあたっては、「スピード感をもって取り組む」のではなく、まさに「迅速に取り組んで」もらわないといけない。「感」なんて言っている場合ではない。感ではいかん!