とんま天狗は雲の上

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未来を語るのは、不安な現実から目を逸らすため?

 学校の9月入学制が突然のように話題となっている。先月半ば位から、ネットでも一部の人は書いていたし、私も半分冗談で「9月入学になるんじゃないの」としゃべったこともあるが、本当に真面目に国会で議論されるとは思わなかった。現状は「今年度実施は時期尚早。来年度以降の実施に向けて、引き続き検討」という意見が多数派になりつつあるようで、まあ穏当なところだ。

 今回のコロナ禍の中で何度も報道されているのが、新薬やワクチン開発の可能性に関する報道だ。中でも、米国開発のレムデシビルが今月中にも新薬承認されるということで、今、注目を集めている。しかし「レムデシビルが5月に『特例承認』?相次ぐ報道に厚労省に直撃取材:日経バイオテク」を読むと、特例承認のためには、承認対象国にアメリカを追加する政令改正が必要になることや、そもそもレムデシビルの承認申請者となるべきGilead社の方針も未定なことから、現状ではまだどうなるかわからないというのが本当のところのようだ。

 しかしこれほどまでに報道が過熱したのは、4月27日の国会答弁で安倍首相が「まもなく薬事承認が可能となる見込み」と発言したことが原因のようだ。安倍首相と言えば4月7日は記者会見でアビガンの使用拡大について言及したが、28日の衆院予算委員会では「特例承認については、日本の法令上できない」と答弁している。勇み足と言われても仕方ないが、新型コロナ感染に対する不安拡大に対して、希望的な発言をしたかったという気持ちはよく理解できる。ちなみに、昨日の首相会見によれば、Gilead社から既に新薬承認の申請があったこと、またアビガンについては今月中には承認できるようにしたいと言っていた。大丈夫かな。

 アベノマスクの配布も、佐伯首相補佐官が「全国民に布マスクを配れば不安はパッと消えますよ」と進言したことが発端という話だが、安倍首相を始めとする政府官邸が国民の不安をいかに抑えたらいいかと腐心しているさまが伝わってくる。しかし、不安を払拭するには、不安の「元から絶たなきゃダメ」。そして不安の元は、新型コロナ感染症の実態や感染状況と医療体制の現状等なのだから、それらをしっかりと公表し、最悪から最善までの将来のシナリオを見せることが必要。そうして不安な相手の現状が見えてこそ、覚悟も定まるし、やるべきことも見えてくる。

 不安と心配は違う。現状把握ができれば心配はしても不安にはならない。相手がわからないから不安になる。そこを隠したまま、未来を語られても、ますます不安が募るばかり。未来を語ることで一時、不安な現実から目を逸らすことはできても、現実に戻れば不安はさらに増してくる。安易な「希望」はない方がマシかもしれない。