とんま天狗は雲の上

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ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力☆

 今、私は、これからどうなるのか全くわからない状況の前で、ただ待っている。ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」。本書冒頭でこのように定義が紹介されている。新型コロナウイルスの感染に伴い、緊急事態宣言が出され、また解除され、という日本の現状においてもまた、必要とされる能力かもしれない。

 ただ、この言葉を知り、本書を読もうと思ったのは、コロナ禍が始まったからではないし、ましてや私が今直面している問題が発生したからではない。「生き心地の良い町」に書かれていたか。それとも「持続可能な医療」だったか。ネットサーフィンをしていてたまたま出合った言葉だったかもしれない。だが、この言葉を見た時、「これは重要な概念だ」と思った。そしてネットで注文し、読んでみた。

 小説家でもある帚木蓬生のことは、名前しか知らなかった。もちろん小説は読んだことがない。精神科医であることも本書を手に取って初めて知った。そして意外に読みにくい。最後まで読んでみても結局、「ネガティブ・ケイパビリティとは何か」についての理解が深まったわけではない。だが、重要な概念であることは全く否定しない。もちろん今の私にとっては耐えることは重要ではあるし、複雑化し高度化する現代においてなお、いよいよ重要になってくる。しかし一方で、本書でも取り上げられているように、現代という時代は以前以上に、問題解決が求められ、ポジティブ・ケイパビリティが評価されがちだ。

 本書では、精神科医であり作家でもあるという筆者の経験から、ネガティブ・ケイパビリティの重要性が語られる。しかし第1章では詩人ジョン・キーツの人生、第2章では20世紀になってキーツの記したネガティブ・ケイパビリティを再評価した精神科医ビオンの人生が紹介されるが、これらを読むだけでは、ネガティブ・ケイパビリティとは何かがなかなか見えてこない。

 第3章「分かりたがる脳」でようやく、マニュアルなどによる画一的思考では理解できないものがあること、すなわち音楽や抽象画などを例に出して、少しずつネガティブ・ケイパビリティに近付いていく。以降、第4章は「医療」、第5章は筆者の診療現場における「身の上相談」、第6章では伝統治療師(メディシンマン)やプラセボ効果を事例に、いかに心身は精神的なものに左右されるかを描いていく。

 第7章の「創造行為」、そして第8章で延々と紹介されるシェイクスピア源氏物語でようやく、キーツがなぜ「シェイクスピアネガティブ・ケイパビリティがあった」と書いたのかがわかってくる。これは村上春樹内田樹などがよく書いていることだが、小説にしろ、様々な文章にしろ、最初からストーリーがあって書かれるのではなく、どこかから降臨するように言葉が沸き上がってくる。それを待ち、委ねる力こそが、まさにネガティブ・ケイパビリティなのだ。第9章の「教育」も同様。子供は待つことで自ら成長する。そして第10章のテーマは「寛容」。待つとはすなわち「寛容」であること。私など、時に短気に結果を求めてしまうことが多々あるが、「寛容」であること、それがネガティブ・ケイパビリティであることをもっとしっかり理解しなくてはいけない。そして終わる。「おわりに」で語られるのは「共感」。

 まさに、コロナ禍の今、巷では自粛警察が跋扈している。そんな時だからこそ、「寛容」と「共感」と「耐えて待つこと」、「ネガティブ・ケイパビリティ」が求められる。多くの事例などを綴る中で、「ネガティブ・ケイパビリティ」を伝えようとする本書のスタイルは、ポジティブ・ケイパビリティ脳の人間にはまどろっこしく感じるが、しかしそれでなければ「ネガティブ・ケイパビリティ」は伝えられないのかもしれない。これからの時代にこそ、重要な概念である。

 

 

キーツの手本はあくまでもシェイクスピアであり、読みふける間に、シェイクスピアが持つ「無感覚の感覚」に気がつきます。対象に同一化して、作者がそこに介在していない境地をさします。…キーツにとって、真の才能とは、不愉快なものでもすべて霧消させることのできる、想像力の持つ強さです。…この「感じないことを感じる」ことや、「受動的能力」の概念が…「ネガティブ・ケイパビリティ」の概念に結実します。(P27)

ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力です。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すのです。(P77)

○私はこのような主治医の処方を、<日薬>と<目薬>で表現しています。何事もすぐには解決しません。数週間、数ヵ月、数年、治療が続くことがあります。しかし、何とかしているうちに何とかなるものです。これが<日薬>です。/もうひとつの<目薬>は…「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」ということです。…ヒトは…ちゃんと見守っている眼があると、耐えられるものです。…人の病の最良の薬は人である。…ヒューマニティは医療のホルモンである(P89)

○問題解決が余りに強調されると、まず問題設定のときに、問題そのものを平易化してしまう傾向が生まれます。単純な問題なら解決も早いからです。このときの問題は、複雑さをそぎ落としているので、現実の世界から遊離したものになりがちです。言い換えると、問題を設定した土俵自体、現実を踏まえていないケースが出てきます、こうなると解答は、そもそも机上の空論になります。(P186)