とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

妻がいない日々

 「回復を信じて、待とう!」の続き

  • 5月13日に記す

 妻が入院して1週間が過ぎた。この間、一度だけ、主治医から携帯電話に連絡があり、緊急手術のために病院へ行き、容態等について説明を受けたが、その後はまた連絡がない。先に書いたように、「連絡がないのは順調な証拠」と思い、日々を過ごしている。

 一昨年の夏にも、妻は膝の骨折で1ヶ月余りも入院をしていた。幸い、命に支障が出るようなケガではなかったので、退院までの間、娘と二人で、「冷蔵庫内一掃作戦」を決行するなど、落ち着いて帰宅を待つことができた。また、妻のケガと入院へ至る顛末についても、比較的早い時期にブログに書くことができた。もっともこの時は、経過をそのまま報告したわけではなく、事故に伴って身の回りで起きたことに対する違和感等を書いている。(「嫉妬と言えばそうかもしれないけど。」

 前回は、発生した事故自体は個人的にも冷静に受け止めることができたので、事故発生直後に、ブログ上で何か書こうとは思わなかった。しかし今回は後戻りのできない、私の人生にとっても決定的な出来事だと感じられたので、起こったこととそれに伴う感情などはできる限り書き残しておこうと思った。ただし、それをすぐにブログに投稿することは控えた。結果によっては、ブログで公開したことを後悔するかもしれないと思ったから。それで、この記事は投稿するとすれば、たぶん発生後、数週間もしくは1ヶ月以上も後のことだろう。当時の状況を記録として残すためにこれを書いている。

 それで、妻が救急車で運ばれてから、1週間が過ぎた。ICUに運び込まれた夜。そして翌日、翌々日と、最悪の連絡が来ることを覚悟しつつ、眠れない夜を過ごした。日中も、電話が鳴るたびに心臓がドキッとした。外出は極力避け、食事もあまり手間をかけず、簡単なもので済ませた。テレビも概してつまらなく、特に新型コロナ関係の報道などは避けた。

 そして、家の整理をした。不要なゴミの類を処分した。テレビは教養番組か、音楽番組を視ていた。涙を流すと癒されることを知った。そして緊急手術の後は、「連絡がないのは順調な証拠」と思うようになった。携帯電話は肌身離さず持っているが、「鳴らないでほしい」と思う。そしてその後はリンとも鳴らない。眠れない夜は未来について考えた。葬儀のこと。家のリフォームや建替えのこと。買い替えるなら次はどんなクルマにしようか。リハビリのこと。

 前回の入院の時は、妻のケガも必ず治ると信じることができた。しかし今回はどうなるのかわからない。未来を描くことができない。最悪の事態から最善な状況まで、様々な事態が予想され、そのうちのどれが現実となるのかわからない。未来の可能性、未来の視界が広すぎる。それでも、携帯電話が鳴らないうちは時間だけはある。だから、色々な可能性について想像し、未来図を描いてみる。それがどんな未来であっても、それぞれ想像し、心の準備をしておくことは、意味がある。未来を想うことは、心を落ち着かせる効果があるようだ。そして、掃除や洗濯、調理など、家事を黙々とこなしていく。そうして時間が過ぎていく。