とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

気管切開手術は無事終了

 「HCUに移る」からの続き

  • 5月27日に記す

 緊急事態宣言が解除され、娘の会社の在宅勤務も終了した。気管切開手術が予定されていた27日は在宅勤務の予定だったが、突然、出勤に変わってしまったので、前日、病院に電話をして手術の予定時間等を聞いてみた。するとまだ決まっていないと言う。しかもHCU内で手術する予定だと言うので、医師にしてみれば、簡単な手術ということなのかもしれない。「たぶん手術後に先生から連絡をされると思いますよ」と言うので、娘は出勤を取りやめ、有休を取って自宅で待つことした。

 しかし、いつまで待っても連絡がこない。結局、夕方になって、私から病院へ電話をしてみた。すると看護師さんが「まだ先生から連絡がありませんか? 手術は先ほど無事終了しましたよ」と言う。そんなもんかと思って電話を切ってしばらくすると、医師から電話があった。でも、脳神経外科の先生ではない。呼吸器内科の先生かな。手術の件はもちろんのこと、ついでに現在の状況について伺う。既に、脳室ドレネージの管は外されているとのこと。「声帯の下に穴を開けたため、今はまだ会話できないが、喉の腫れ等がなくなれば、器具を取り外すので、そうすれば話もできるようになる。また。これからは起き上がることもできるんじゃないかな」と言う。うーん、やはり一度見ないことには、どういう状態かよくわからない。それにしても面会はなかなか解禁にならないなあ。

 職場の同僚が数年前に、くも膜下出血で倒れたことがあると言う。今は全くそんな気配もない。そこで彼に詳しい話を聞いた。彼が倒れたのはもう10年以上も前のこと。町内会の懇親会の席にいて突然、底の平たいハンマーで殴られたような衝撃とともに強い頭痛が襲った。だがすぐに倒れるということでもなく、そっと席を外して廊下で家に電話をしていると次第に落ち着いてきた。そこで一旦は懇親会の場に戻るが、再び猛烈な頭痛が襲う。家まで300m程だったが、一人で歩いていくことは躊躇われ、ちょうど帰ろうとした出席者に家まで送ってもらったと言う。それから救急車を呼び、車内では「どこの病院へ向かうか」と救急隊員と話をしたことも覚えている。しかし、病院に到着すると、張り詰めていた気が緩んだのか、そこから先は意識を失った。彼の場合は動脈瘤破裂。だが、夜だったこともあり、すぐに手術は行われず、翌日になってからの手術だったそうだ。もっとも本人は全く記憶がなく、気が付けばベッドに寝ていたと言う。

 妻の場合も、ICUに運び込まれるベッドの上で、軽く手を振っていた。入院直後の主治医の話では、発作で死亡する可能性が5割。その後、数日以内に亡くなる可能性がさらに5割。しかもそれで命が助かっても障害が残る可能性が高い、と言われた。五体満足な状態で退院できる可能性は1割程度か。彼の場合、後遺症といっても左目の視野がわずかに狭くなった程度だと言う。何より、五体満足で(必要以上に)元気な実例が目の前にいる。その話に強く勇気付けられた。妻も早くそうなればいい。

 「入院後、初めての面会。そして一般病室へ。」に続く。