とんま天狗は雲の上

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リハビリ病院へ転院

 「筆談ならできた!」から続く。

  • 6月17日に記す

 昨日、リハビリ病院へ転院した。金曜日に転院の日時が決まり、受け取った「入院の案内」には、準備するべき物がずらりと記載されていた。タオルが10枚、バスタオルが5枚。パジャマと日常着、下着等は各5着。コップや洗面器、歯ブラシ、シャンプー・リンス等は想定内だが、「すべてに名前を記入してください」と書かれている。油性の細書きサインペンで洋服のタグなどの目立たないところに書いていったが、これが大変。ついでに、パジャマのゴムも入れ替えて、何とか日曜日のうちに準備した。日曜日に気が付いてよかった。

 月曜日に面会に行くと、「いじめられている」とメモを書くので、ビックリ。「明日には転院できるから」と宥めたが、看護師との意思疎通も満足にできず、鬱憤が溜まっているようだ。

 当日は9時に病院へ行って、まずは退院の手続き。医療費などを清算し、荷物をまとめる。服もワンピースに着替えて待っていると、10時前にリハビリ病院の看護師さんらが到着した。さっそく車イスを乗り換え、新旧の看護師さん同士で情報の受け渡しを行う。すべてが完了したら、出発。特にお世話になったベテラン看護師とは、涙?のお別れの挨拶を交わした。

 リハビリ病院に到着すると、妻はさっそく体温や体重などの検診を受け、家族は入口で入院申請書等の手続きを行う。コロナ禍で原則、面会は1日1回15分、家族一人までがこちらの病院のルールだが、初日は例外。検診が終わった後は、妻も一緒に、担当医師からこれまでの経緯の確認やリハビリ病院での治療方針などの説明を受け、妻は病室へ向かう。一方、私たち家族はソーシャルワーカー(相談員)の方から、自宅の状況や家族の状況、リハビリの到達目標などについて打合せを行い、さらに病室へ向かう途中でも、作業療法士や栄養士、理学療法士言語療法士などの方々が自己紹介かたがた色々と尋ねてくる。その前向きな姿勢に感心するともに、治療病院とは異なるリハビリ病院ならではの特徴かと好意的に感じた。

 そして妻はすぐに食事に向かう。初日はどの程度一人で食事ができるか確認するために、別室で食事。こちらからは見えなかったが、一人で全部食べられたということで順調に回復していることが知られた。その後の歯磨きやトイレも一人でできた。歩行器を使っての歩行もでき、運動能力は相当に回復してきているようだ。しかしその後、昼寝をさせようとしたら、ミトンをつけることに大抵抗。結局、しばらく家族で見守り、足を揉んだりしていたら、ようやく眠りについた。

 後はスタッフに任せて家に帰ったが、まだまだ大変そうだ。ソーシャルワーカーの方から「高度機能障害はあるし、完全には戻らない可能性が高い」と言われたが、そこが一番の心配事項。医師からは「治療後は自宅ではなく、施設を希望することはありますか」と聞かれたが、実際、そう要望する家族もあるようだ。いや妻の場合にも、そうした状況も想定しておかなくてはいけないとは思っている。

 途中で昼食を済ませ、家に帰ると、まずはバタンキュー。でもしばし休憩後は、「Tシャツとズボンがいい」と言われた日常服を揃え、自宅の見取り図を描き、玄関や寝室、浴室、トイレ等主要部分を写真に撮って、DVDを作成した。今日にでも届ける予定。実は今朝、突然、病院から電話があり、妻が夜間にベッドから落ちて、床に座っていたとのこと。柵があったのにどうしてそんなことになるのか。病院側は平謝りだったが、こちらの方が謝りたい気分。まずは一刻でも早く、気管のカニューレが取れると良い。そうして病院のスタッフの方たちとコミュニケーションが取れるようになれば、妻ももっと快適にリハビリに専念することができるだろうに。まだまだ先は長いなあと嘆息した。

 「妻から電話とメール」に続く。