とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

西への出口

 中東か、北アフリカか、それとも西アジアか。難民あふれる紛争地帯で生まれ育ったふたりの男女が、恋に落ち、武装組織に占拠される中で、「西への出口」から外に脱出する。難民キャンプらしいそこはギリシャのミコノス島で、さらに扉を通って、ロンドンの邸宅を不法占拠する。

 移動は「扉」を通れば、簡単に行き来ができるらしい。しかしロンドンでは排外主義者たちの暴動もあって、出身国ごとのコミュニティができ、不法占拠者による評議会もできる。そうして初めは甘い恋愛小説だったものが、ふたりがそれぞれ違うコミュニティに所属する中で、次第にふたりの気持ちにすきま風が吹き始めていく。

 そして、労働者収容所へ移って働き始めたふたりは、再出発を期して、新たな出口を探す。辿り着いたのが、サンフランシスコのマリン。その平穏な暮らしの中で、ふたりの関係は落ち着くかと思われたが、いったん開き始めた隙間は、離れるしかなかった。

 作品の最後で、半世紀を経て、紛争も終わった故郷に帰り着いたふたりが再開する。ふたりの間に流れるものは、人生の一刻を共有していた懐かしさと、穏やかな気持ち。「コーヒーを飲み終えた…ふたりは立ち上がって抱き合い、そして別れ」(P181)る。

 パキスタン出身で、幼少時からアメリカとパキスタン、そして30代からはロンドンでも暮らした筆者は、今はパキスタン、ロンドン、ニューヨークを行き来する生活を送っているという。パキスタンでの経験が作品に深く流れているのだろう。移民、難民、そして多くの人種や民族が坩堝になって暮らす現代という時代に、この作品は一つの石を投げ込んでいる。あくまでも軽く、スタイリッシュな文体の中に現代性を感じさせる作品だ。筆者の他の作品も読んでみたいと思わせる。

 

西への出口 (新潮クレスト・ブックス)

西への出口 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

○ぼくは恋をしている、とサイードは自覚していた。自分が感じているのが何なのか、ナディアにははっきりとはわからなかったが、その力はわかった。ふたりを含めて、街の新しい恋人たちが置かれた劇的な状況は劇的な感情を生み出すものであり、そこに夜間外出禁止令が出されたとなると、遠距離恋愛のような状況が生まれた。よく知られているように、遠距離恋愛といえば、少なくともしばらくのあいだは情熱を高める力がある。断食が食事をありがたく思う感覚を高めてくれるように。(P46)

○その地区にはもう電気がなく、ガスも水道も通らなくなり、自治体機能が完全に崩壊していた。ある夜…ふたりが…毛布にくるまって体を寄せ合っていると、サイードが口を開いた。「きみがここにいるのは自然に思えるよ」/「私もそう思う」とナディアは答え、サイードの肩に頭を預けた。/「世界の終わりって、居心地がいいこともあるかも」/ナディアは笑い声を上げた。「そうかも。洞窟みたいに」(P66)

○午後遅くにサイードは丘の頂上に行き、ナディアも丘の頂上に行き、そこから島全体とその向こうに広がる海を見渡した。サイードはナディアが立っているそばに立ち、ナディアはサイードが立っているそばに立ち…ふたりはおたがいのまわりを見たが、おたがいの姿は見なかった。ナディアは彼より先に行き、サイードは彼女のあとに行ったからだ。ふたりとも、丘の頂上にいたのはほんの少しだけ、しかも違うときだった。(P86)

○紛争にいたる過程がどんなものかを知っていたサイードとナディアには、そのころのロンドンに漂う雰囲気にはなじみがあった。勇気でもパニックでもなく、あきらめの気分でふたりはそれに向き合った。寄せては引く緊張の瞬間がちらほらとあり、その緊張が引いているときには平静が保たれ…それは実際には人間的な生活の礎であり、私たちが死への歩みの合間で足を止め、行動するのではなくただ存在するほかないというときに待ち構えている瞬間なのだ。(P111)

○人々は株の売買をするように家を売買し、毎年誰かが出て行って誰かが入ってきて、いまでは…ありとあらゆる異邦の人々が彼女よりも居心地がよさそうにしていて、英語を話せないホームレスですら…居心地がよさそうだった。…年寄りの女には、自分も移住したか、生まれてからずっと自分の家にいたとしてもみなが移住するのだと思えた。それはもうしかたのないことなのだ、と。/私たちはみな、時のなかを移住していく。(P167)