とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街場の親子論

 思想家である内田樹と娘の「るん」さんとの往復書簡集である。「るん」さんのことはこれまでの内田樹の本の中でもある程度書かれていたが、独り立ちして以降のことはあまり書かれていない。高校を卒業した後、離婚した妻(「るん」さんにとっては母親)と一緒に、若しくは近くで生活していることは本書で初めて知った。あの内田樹の娘だから、さぞ立派な大学へ行き、さぞ立派な社会人として生きているのだろうと勝手に思っていたが、意外にも大学へは進学せず、就職もせず、ガールズバーやスナックでバイトをしながら(というのが普通の生活かどうかわからないけど)、普通に生活をしていた。ちなみに、本書の略歴には、詩人、フェミニスト、イベントオーガナイザー等と書かれている。フェミニストが職業かどうかは不明だが、少なくとも、他の文化人の娘のように文筆家や女優などになっていないだけでも、さすがに内田樹の娘と賛辞を贈りたい気分だ。もっともこの本の出版で、しばらくしたら、エッセイストの内田るんになっているかもしれないけど。

 下に引用した文章は、圧倒的に内田るんの書いたものが多いけれど、それは内田樹がもっぱら娘に向けて書いているものが多いから。逆に、内田るんが書いている文章は、お父さん宛なんだけど、その向こうにいる読者を意識しているように感じられる。それも含めて、内田樹の親から子への愛情を感じる。父が設定した囲いの中で自由に書いている娘、という感じ。だから、たとえ本書が契機となって内田るんが自分の本を書いたとしても、私はたぶんそれは読まない、と思う。彼女の文章は、彼女と同年代の人にとってこそ同感もするだろう内容で、彼女の親世代が読んで格別に面白いというわけではない。

 やはり、内田樹の文章の方が面白い。一番下に引用したが、「娘に向けて書いたこの自分史もしょせん『第二層の告白』だ」と言う。しかも「かなり仕上がりのいい『回想』」だと述べる。そう、自分史など、いつも変化するし、そこに真実はない。あるのは常に真実に近い回想。それでいいし、そうでしかあり得ない。内田るん自身も「ほんとのところは誰にもわからない/決められない」と書いているけど、ほんとにそのとおり。自分のことでさえ、誰にもわからない。自分にさえわからない。そして誰も決められない。

 妻が入院して以来、私も娘と一緒の時間が多くなった。すごく多くなったわけではないけど、少し多くなった。でもやはり、家族といえども、お互い立ち入らないことはあるし、発見することもある。家族と謂えども「他人」。でも、他人以上には「家族」。この微妙な関係について、本書を読みながら、色々と考えてしまった。「父と娘の困難なものがたり」と副題がついているけど、そもそも家族とはもっとも困難な人間関係ではないか。だから敢えて「困難なものがたり」と書かなくても、「そんなの当たり前なのに」と思ってしまう。

 

 

○【るん】心の奥深い場所にある、川底が水流にえぐられた跡のような記憶って、どうしたって消えないように、極端な話、記憶喪失で私が過去をすべて忘れても、私の人格の中には必ず、お父さんの存在や影響というものが残るのでしょうから、過去の記憶なんてどんどん手放しちゃってもいいかも知れませんね!(P25)

○【るん】人間は、過去の物語からし人間性は形成されない、自覚できる「人間性/キャラクター」はそういったものの寄せ集めに過ぎないのではないかなと、こないだ初めてシェイクスピアの『ハムレット』を読んで思いました。こんなに人間の悲劇性をキャッチ―に世界中に広めてしまったのなら、私たちは無意識にシェイクスピア的な愚かさからは脱却しようがないのではないか。だから世界はこんなに悲劇的なんじゃないかしら……と。(P77)

○【るん】人間はみんな、「ほんとのところは誰にもわからない/決められない」って共通認識があれば良いのだと思います。…時間が経ったり、考え方が変われば、捉え方も変わってしまうわけだし。そう考えると、科学の世界も、宗教の世界も、人の心も、結局はどこにも「正解」なんて無い。/それなのに、「暫定的結論」では満足せず、「絶対的真理」をあらゆる場面に求めてしまうのは、人間の浅はかさ、なのでしょうか。(P105)

○【るん】「こうすれば良いのに」と思ったとおりに動ける人はごくわずかで、正しい道がわかっているのに…その場だけの感情や「空気」に支配されて、どんどん自分の立場を悪くし、孤立していくのが、「日本人のスタンダードな人生」になりつつある。…だから日本という国は、いつ破綻してもおかしくない、というか破綻しつつありますし、それをぼんやりと待ってる、というのが国全体の空気でもあるように思えます。(P199)

○【樹】この書簡に僕が書いたことは、これまで語った中でもっとも「第二層の告白」に近いものです。もちろん…言い落としていることはまだまだたくさんありますけれど、それでも、これはかなり仕上がりのいい「回想」だと思います。/「仕上がりがいい」というのは、「これを「ほんとうのこと」ということにしておいても、双方にとって実害があまりない」という意味です。(P272)