とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

リスクの正体

 筆者が朝日新聞に2014年から連載してきたコラム、「月間安心新聞」および「月間安心新聞plus」を再編集したもの。このコラムは今も継続されているが、本書では今年2月分までを収録している。本書を手に取って初めて気が付いたが、筆者は神里達博「文明探偵の冒険」の著者じゃないか。「文明探偵の冒険」は非常に面白く読んだ。そういえば、その後は神里達博氏の本を読んでなかった。期待して読み進めた。

 コラム集なので、全体としてまとめて言いたいことがあるわけではない。それでも筆者が、リスクを通して、日本、そして現代社会をいかに見ているかが伝わってきて、興味深い。一言でいえば、我々は日常的世界に生きているだけでなく、ネットワークなどでつながった情報や世界の中で生きている。そして、その結果、現実世界から遊離し、主観的な世界を現実として認識してしまう、いわば、中世的世界に戻ろうとしているのではないか、という社会観だ。なるほど、わからないでもない。

 確かに、テレビやインターネットが報じるニュースがどこまで本当のことなのか、誰かが何かの意図を持って取捨選択した、特定のフレームアップがされた世界ではないのかと危惧しないでもない。それを理解した上で、我々はこの状況にどう付き合い、どう判断し、生きていけばいいのか。一つは極力、外部からの入力をシャットアウトすること、もしくは、現状を自覚し、自己判断を重視して、自由と自己責任とリスクの世界に生きていくこと。後者でしかあり得ない。そう、リスクを認識し、自信をもって歩いていくしかない。そして結果は受け入れるしかない。従来以上に、こうした覚悟を持って生きていく必要がある。我々はそうしたリスクの世界を生きているのだ。

 

 

○私たちは今、目の前に見えている日常的な世界のみを生きているのではなく、メディアやネットワークを通じて認識できる…情報や、海の向こうで生産されている…モノに深く依存して生きている…、いわば、私たちが「今、ここ」のみに生きていない、生きることが許されない時代という、特異な状況…「奇妙なスタイル」で生活するようになったのである。そしてこのスタイルの変容こそが…私たちが不安とともに日々を生きるようになってしまったことの、根本的な原因ではないだろうか。(はしがきⅳ)

○「黄色信号」が灯った時、政府はどうすべきか。判断を誤れば被害が拡大する。逆に…「空振り」だった場合の経済的被害も甚大である。…結局は、専門家の判断に従うというのならば、学者に責任を押しつけることになる。…グレーゾーンのリスクをどう処理するかは、現代社会の難問なのだ。(P34)

○情報化によって私たちはすでに、現実に存在する世界ではない、電子的な記号システムの体系に、リアリティーを感じるようになっている。…私は以前から、この時代は近代性が弱ってきていて、いずれ中世に逆戻りしてしまうのではないかという不安を感じてきた。…大きな時代の潮流にあらがうのは容易ではないが、近代という時代に培ったさまざまなものごとの価値を整理し、改めて確認すべき時期にあるのではないか。(P97)

○壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。…すでにかなり「白い」この社会を、さらに漂白しようとする時、いかなる無理が生じるか、よくよく考えてみるべきだ。/「治安」という価値の強調による副作用は…人権侵害の問題だけではない。要するに活気がなく、創造性に乏しい、発展性のない社会になりかねないのだ。そうなれば当然、「経済成長」や「イノベーション」などは望むべくもない。私たちは、そんな社会にしたいのか。今一度、問い直す必要があるのではないだろうか。(P171)

○日本という国、あるいは日本列島という存在の本質的な性格…を一言で表現するならば、「多様性に富んだ周縁」ということになるのではないか。…その結果、外国には見られない、個性的なモノやコトが至るところに残存し、多様性に満ちた列島になった。…私たちは元々、「サブ・カルチャーの島国」に住んでいる…。/となれば「令和」の日本は、「偉大な国」や「強い国」ではなく、「面白い国」を目指すべきではないのか。(P233)