とんま天狗は雲の上

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「バカ」の研究

 「バカ」とは何か。本書は、フランスの心理学者であるジャン=フランソワ・マルミオンが編者となり、多くの学者などに執筆を依頼してまとめた論文・インタビュー集だ。全部で24人の学者等が参加しているが、「バカ」の定義を一義的に定めているわけではないので、人によってさまざまな定義がされており、本書中においても揺れ動いている。だいたいは、「知性がないことではなく、他人を不愉快にさせるような行動や言動をすること」といった感じだが、後悔の類の「過ち」も「バカ」の範疇で捉えている論文もあり、一律ではない。

 加えて、本の前半に収録された論文は「バカ」な行為や人を心理学的に研究する類のものが多いが、途中から、フェイクニュースSNSなど現在の高度情報化による弊害としての「バカ」な行動・言動の特徴や対策といった類の論文が増え、そして後半では、「動物に対してバカなことをする人間」や「子供とバカ」、「夢とバカの関係」など、周縁的な事柄との関係やバカの表れに関する論文が多くなっている。つまり、内容はかなり拡散的であり、「バカとは何か?」という疑問に対して読者は、結局のところ、本書に収録された多くの論文を読み、自分で考えるしかないのだ。いや、そもそも「バカとは何か」と一義的に定義付けるべきものではないのかもしれない。

 ところで、本書に参集した執筆者の多くは、心理学者が多いが、「予想どおりに不合理」「不合理だからすべてがうまくいく」の執筆者で行動経済学者のダン・アリエリーもインタビューに応じている。内容はかなり他愛無いモノではあるが、心理学と行動経済学の境目がよくわからない。大竹文雄「行動経済学の使い方」でも感じたことだが、本書はあくまで心理学者が編集しており、この方がスッキリする。

 論文のほとんどが「バカ」を否定的に捉える中で、イヴ=アレクサンドル・タルマン氏の「知性の高いバカ」だけが、「バカな行動はクリエイティビティの原動力にもなる」と述べており、目を惹いた。「バカ」は迷惑だが、「バカは進歩の源」と思えば、多少は「バカ」を許せる気にもなるだろうか。いや、きっとならない。迷惑なものは迷惑だし、ほとんどの「バカ」はクリエイティビティとは離れたところにある。

 

 

○心理学者の…スタノヴィッチによると、まず、知性には「アルゴリズム的知性」があるという。物事の意味を理解したり、論理的に思考したりできる知性だ。…だが、学校以外の実生活において、この種の知性が常に役立つとは言いがたい。…そこで必要とされるのが…「合理的知性」だ。こちらは、現実の状況を考慮しながら、目標を実現するために意思決定できる知性だ。…平均以上のIQの持ち主であっても、「バカ」げた意思決定をすることはある。…「アルゴリズム的知性」が高くても「合理的知性」が低いからだ。(P34)

○禁じられたことをすることの魅力は、「バカ」な行動の原動力になる。だがそれは同時に、クリエイティビティの原動力にもなりうる。…「バカ」な行動の多くは、独創的でクリエイティブでもあるのだ。…「違反性」に魅了される傾向と、リスクをおかすことを恐れない<楽観バイアス>のおかげで、新たな技術が開発され、世の中は進歩していく。「バカ」とクリエイティビティは一枚のコインの裏表のようなものだ。ふたつに共通するのは「逸脱」という特徴、つまり敷かれたレールからはずれることだ。(P41)

○<認知バイアス>は「バカ」ではない。…時にわたしたちを誤った方向へ導くこともあるが、基本的には非常に実用的な「ショートカット」である。脳の情報処理にバイアスがかかることは、決して知性の欠如を意味しない。わたしたちの日々の思考は、単に思考をするためではなく、行動に移すことを目的に行われている。その思考力の高さの表れこそが<認知バイアス>だ。(P92)

○本物の「バカ」とは、自らの知性に過剰な自信を抱き、決して自分の考えに疑いを抱かない人間のことだ。…バカは嘘つきより始末に負えない。嘘つきは真実が何であるかを知っているが、バカは真実には関心がないからだ。バカを撃退するには…相手を「バカ」と命名することが大切だ。自分自身に対しても、「バカ」という形容動詞をどんどん使っていきたい。…それは気づきを得た証拠であり、自己修正のスタート地点となるからだ。(P101)

○ある意味で<ポスト真実>は、人間の知性を利用しながら、人類最高の「バカ」を作りだしていると言えるだろう。現代版バカには大きく三つの特徴がある。…「ナルシシズム」、「無分別」、「知識人気取り」だ。…<ポスト真実>は、「直観」と「感情」によって形成される「知識」に基づいた信念を抱き、それにしたがって言動を行なう者たちによって支えられている。(P208)