とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

コロナと生きる

 コロナ禍も刻々と変化している。本書は5~7月に行われた対談を収録したものなので、どうしようかと思っていたけれど、先日、内田樹の講演を聴いた時に、本書で話された内容が多く含まれているように感じたので読んでみようと思った。もっとも対談集であり、多くは期待できない。講演会で聴いたからなおのこと、そう思ったかもしれない。

 無謬主義の危険性、同調圧力感染症の相性の悪さ、イノベーションと評価主義の齟齬、安倍政権から横行する上意下達方針が政策に及ぼす悪影響、そして責任回避志向。中でも、「責任回避志向」が決定的に社会を悪くする。理屈が理屈で通らず、正しいことが正しいままではいられない。すべての人が裏を読み、疑心暗鬼になり、社会の見通しが悪くなる。人々は目に見える範囲のことでしか判断できず、社会的パフォーマンスは下がる。

 まさに今、日本で起きていることではないか。コロナ禍は社会を変えるかと思ったが、これまでどおりのやり方でコロナ禍に対処し、社会の濁りはひどくなった。「コロナと生きる」とは、実はそういうことか。唯一の救いは、岩田氏のような人が我々の目に見えるようになったこと位か。だが、岩田氏とて救世主ではない。岩田氏の周辺では多少は社会の濁りが薄れただろうか。

 コロナ禍で、これまで知らなかった多くの人が登場してきた。これからもできるだけ目を凝らして、少しでも汚れが少ないところを見るようにしていきたいと思う。でも本当に汚れが少ないのか、逆に白く汚れているのか、それはわからない。自己責任で気を付けなくてはいけない。これからも色々な人の話を聞いていきたいと思う。

 

コロナと生きる (朝日新書)

コロナと生きる (朝日新書)

 

 

○【岩田】無謬主義…科学の原則からもっとも遠いイデオロギーです。科学者が何かと取り組むとき、まず考えるべきは「自分たちが間違っている可能性」だからです。…これは日本政府や厚生労働省ともっとも折り合いのつかないイデオロギー上の齟齬だとぼくは思います。…政府や厚労省が言いそうなことはいつも「自分たちは適切にやっている」…という無謬主義だからです。…しかし、これは反科学的な態度です。(P11)

○【岩田】コロナの感染が広がる一番の原因は、「同調圧力」なんです。…逆に言えば、「人と違うこと」をやり続けていれば、感染リスクはどんどん減っていくんです。ところがこの「人と違うこと」に、今の日本人の多くは耐えられない。…人と違うことに耐える、そして誰かが人と違うことをやっても許せる。この二つの姿勢を僕らが身につければ、コロナ対策にもなるし、日本社会のヘンな同町圧力から脱却できる契機になると思うんですね。(P102)

○【内田】イノベーションというのはそもそも評価主義になじまないんです。その成果の価値を測る「ものさし」がまだ存在しないようなもののことをイノベーションと呼ぶわけですから。だから、学術的なイノベーションをほんとうに支援したいと思ったら、やりたいやつに好きなようにやらせて、「放っておく」のが一番なんですよ。(P151)

○【内田】官邸は「感染症に何とか対処しろ」という命令は…出している…。でも…具体的な指示は…含まれていない。…上意下達組織では、現場が自己裁量でものごとを判断することは許されない。だから…上に確認をとる。それが順送りで上まで行って…上意が戻ってくるんだけれど、そこにも具体的…指示が含まれていないので、下は固まったまま……。それが日本社会における「目詰まり」の構造だということがわかりました。(P175)

○【内田】生データが示されてそれに基づいて下した判断が間違っていたら、それは解釈した政治家の責任になる。でも…データがすでに「汚れて」いたら…政治家のミスは免罪される。…日本の政治家も官僚も、とにかく「責任を取りたくない」ということを最優先に配慮している。その切実な責任回避志向が、今回のパンデミックで、すべての政治判断に伏流していると思いますね。(P186)