とんま天狗は雲の上

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政治家がコロナマナーを語る違和感

 今週に入って新型コロナの感染者が急増し、19日には東京都が警戒レベルを最も深刻なレベルに引き上げた。ちなみに、東京都の警戒レベルは、「感染状況」と「医療提供体制」に分かれ、「感染状況」が最高レベルの「感染が拡大していると思われる」、「医療提供体制」は上から2番目の「体制強化が必要であると思われる」になっているそうだ。

 一方、愛知県では「厳重警戒」だそうだが、これは4段階の上から2番目で、最高レベルは「危険」になるとのこと。東京都が最初か、大阪府が最初だったか、今になっては覚えていないが、都道府県ごとに異なる警戒レベルを提示されるのは非常にわかりにくい。国の新型コロナウイルス感染症対策分科会では8月に「今後の感染状況の変化に対応した 対策の実施に関する指標及び目安について」という提言が出されているが、各都道府県が必ずしもこの提言に沿ったレベル設定をしていないということか。ちなみに国全体としては、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を発出するか否か、ということになるようだ。

 それはさておき、今回、東京都が「感染状況」の警戒レベルを最高レベルに引き上げるにあたり、小池都知事が会見を行い、「5つの小」について長々と話していた。でも、こうしたコロナマナーについて政治家が話をするというのはどうなんだろう。菅首相も19日に、飲食時のマスク着用を勧める「静かなマスク会食」を呼び掛けているが、そんなこと、わざわざ総理大臣が会見で話すようなことなんだろうか。

 コロナマナーの類は、医師や公衆衛生の専門家から伝えてもらった方がわかりやすいし、より信頼感を持つことができる。専門外である政治家から言われても、却って信憑性を疑うし、発言の裏にはどういう意図が隠されているのかと窺ってしまう。政治家に期待するのは、医療崩壊をいかに食い止め、経済破綻にいかに対処していくのか、その方針や方策を聞きたいのであって、そこでコロナマナーを聞かされると、それ以外の方策は持っていないんだ、考えていないんだ、と感じてしまう。

 「警戒レベル」は都道府県で発出しているので、知事が会見でそれを伝えるのはいい。だが、その対策として「コロナマナー」を、それも「5つの小」などと得々と話すのは、政治家としての評価という点で逆効果なのではないか。また、菅首相が話すと、それって結局、「コロナ対策は自助で」と言っているように感じる。自助を呼び掛けるのはいい。だが、自助を言う際には、合わせて「共助」や「公助」についても語るべきではないか。安心感のある「公助」があってこそ、「自助」を実践しようという気持ちにもなる。政治家がコロナマナーを語ることにいったいどういう意味があるのだろうか。