とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

心底「死ぬわけにはいかない」と思う。

 妻が退院して3週間が過ぎた。お試し退院もあって、だいたい状況は掴めたし、それなりに準備もしたので、予定外に驚いたり、慌てたりすることはなかった。退院最初の週は、訪問看護や訪問リハビリ、デイサービスセンターなど初めての出来事が続いたが、娘が退院と合わせて介護休暇を取ってくれたのも助かった。もっともやり慣れない家事を担当することになった娘は一時かなり疲労困憊していたが・・・。

 そして思ったのは、「妻がこの状況では、とても先に死ぬことはできないな」ということ。よく、結婚をしたり、子供ができたりしたときに、「家族を支えるという責任感を感じる」と言われるが、正直、私はこれまで、結婚した時も、娘が生まれた時も、そこまでは思わなかった。結婚はただ舞い上がっていただけだし、子供の育児も精神的には妻が主に担い、私はその支援に回っていた。

 誤解されると困るけど、けっして子育てを妻任せにしたということではない。妻の母親の具合が悪いというので、出産時に妻が実家に帰ることなく、退院後は自宅に帰り、二人だけで育児をした。だから、おむつの交換は普通にやったし、夜泣きする娘を抱いて、あやし続けたこともある。それでも子育ての主役は妻だ。妻自身もそのように思っていただろうし、私に補助や支援は頼んでも、娘に何かあったら自分のせいだと思っていたはず。実際、娘が起立性調節障害でしばらく学校に行けず、いくつかの病院を渡り歩いた時には、玄関で眩暈を起こし、倒れ込んだこともあった。なにもそこまで背負い込まなくてもと思うが、そこまで考え、感じるのが母親なのだろう。

 その点、父親はどれだけしっかり子育てに参加しようが、自分が生んだわけでもないし、母乳を与えることができるわけでもない。だからだろうが、娘が生まれた時も、そしてその成長の過程においても、「自分が死ぬわけにはいかない」と思い詰めることはなかった。万一、死んでも大丈夫なように、「それなりの生命保険に入っておこう」とか、万一、離婚するようなことになったら、二人が生活できるような経済的負担は覚悟するとか、結局、「死んでも代替の方法がある」という思いは捨てきれなかった。

 しかし今回は違う。娘の介護休暇もせいぜい半年が限度。仮にその間に私が死んだら、その後の職場復帰も難しいだろうし、かと言って、仕事もせずに食べていけるほどの財産があるわけでもない。何より、娘に母親の介護をして齢を重ねるような生き方を強いることはできない。

 介護休暇の期間が終わったら、私が現在の仕事を退職し、介護をバトンタッチすることにしている。幸い、支給時期を早めれば年金をもらえる年齢にはなった。最初、娘は「会社を辞める」と言ったが、娘が正社員で採用された会社を辞めるよりも、どうせ65歳には退職せざるを得ない私が辞めた方が合理的だと説得した。だから、それまでは死ねない。その後も、老々介護が待っている。妻より先には死ねない。今回、私の人生で初めて、心底「死ぬわけにはいかない」と思った。天命であればどんな理不尽な死であっても受け入れざるを得ないとは思ってはいるが、この思いだけは届いてほしいと切に願っている。