とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評issue30

 今号の特集は「プレミアリーグ」。それもBIG6ではなく、それ以外の、最近、BIG6を脅かして奮闘しているレスターやエヴァートンアストンビラ、リーズ、シェフィールド、ウルブズなどのチームを取り上げる。確かに今季のプレミアリーグアーセナルやマンCが中位以下に低迷し、これまであまり上位争いでは見なかったチームがリバプールトッテナムなどと上位を争っている。これは単にBIG6チームの低迷ではなく、明確な戦略を持ってチーム作りを進める監督たちがいる。ブランダン・ロジャーズやアンチェロッティビエルサ、ヌーノなどだ。

 一時は外国人監督が席巻したプレミアリーグだったが、最近は英国人監督も増えているという。彼らを取り上げた記事も興味深いし、一方で、ストーミング系とポゼッション型の両者を取り入れたハイブリッドサッカーを目指す、サウサンプトンのハーゼンヒュットル監督の記事も面白い。さらにはシェフィールドのオーバーラッピング・センターバックなど、プレミアリーグは戦術の宝庫だ。かつてイングランド・サッカーといえば、キック・アンド・ラッシュの身体系サッカーでつまらないと言われたが、今やあらゆることが試され、世界のサッカーをリードしている。何と言っても、グアルディオラがいて、クロップがいて、モウリーニョがいて、だからこそビエルサプレミアリーグにやってきたのだ。

 プレミアリーグと言えばどうしてもBIG6を中心に観戦してしまうが、確かに先日観たエヴァートンのゲームは面白かった。今度はシェフィールドやリーズのゲームも観てみようか、という気にさせる特集だった。

 その他の記事も安定して面白い。中でも武田砂鉄の「スポーツ文化異論」では、メディアが主導するスポーツと社会の断絶を取り上げ、興味深い。スポーツ選手が政治や社会に関心がないのではない。そうした選手像と作っているメディアがいる。確かにそのとおりだ。大坂なおみの一連の発言がそのことを明確に示している。サッカー選手が海外へ行きたがるのも実はそこに原因があるのではないか。

 

フットボール批評issue30

フットボール批評issue30

  • 発売日: 2020/12/07
  • メディア: 雑誌
 

 

○フェアプレーや創造的なプレーなど、サッカーが本来持つべき美しさを欠いた勝利など何の価値もない、かれは本気でそう考えている。つまり根っからの「サッカー原理主義者」なのである。サッカーの原理原則、そのすべてを愛しやまないのがビエルサなのだ。…ビエルサが残した言葉に次のような有名な一節がある。/「『近道』は必ずしも目標に辿り着かせてはくれない。花壇を避けずに近道しようとする人は、早くは着きますが、花を踏んでダメにしてしまいます。花壇を避け、遠回りした人は、時間はかかりますが、花壇には美しい花が咲いているのです」(P21)

○基本的に縦に速くというのはアリですが、相手が自陣に固まってスペースがないとき…そこに何度も何度もボールを蹴って、セカンドボールを拾いに行けば、相手の守備は崩れる。そういう人もいれば…自陣でボールをポゼッションすることによって、相手をおびき出す。…そこはクラブにどういう選手が所属するのかによって、最終的には判断しなければいけません。…自分たちの選手が何をできるのか、見極めは重要だと思います。(P55)

○監督の人間性ってなかなか取り上げられないというか、特に日本はサッカーのスタイルだけで切り取るところが強いけど、一番重要じゃないですか。…最終的には現場でチームの雰囲気を作るのが、監督、コーチングスタッフ、その他スタッフ全員のパーソナリティであると。そんなに優れた人が集まっても、コミュニケーション能力が低いとか、選手たちとの多様性にあふれる関係を築くことができなければ、チームをまとめることは難しいと。(P56)

○数字はあくまで記録、レコードってこと。レコードをある時、データって言い換えたやつがいる。あくまでもスプリント、走行距離はレコードであってデータではない。スプリントと走行距離、パス成功率、パス本数を組み合わせたのが初めてデータと言えるわけ。数を勘定しただけでアナリストというのが前から嫌いだった。それはレコードを並べているだけで、単なる記録員にすぎない。レコードをどうデータに変えるかがアナリストの仕事なんだよ。(P107)

○テレビが選手に対して強者となり、男性選手が女性選手に対して強者になる。その掛け合わせによって、テレビで女性選手のわだかまりが伝えられる場面は生まれない。弱者として固定されてしまう。/スポーツニュースを見ていると、とにかく、日本のスポーツ選手って、社会のこと、なにも考えていないよね、と固められてしまう。ホントにそれでいいのだろうか。(P121)