とんま天狗は雲の上

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朝鮮戦争の正体

 1950年に開戦し今も休戦状態が続く朝鮮戦争については、軍需景気により日本が敗戦後の壊滅状態から経済的復興を遂げる契機になったという程度のことしか知らない。ソ連アメリカの代理戦争という認識ではあったが、ソ連アメリカ、そして中国はどう関わったのか詳しくは知らなかった。筆者によれば、現在に至るも、朝鮮戦争がどういう経緯で始まり、それぞれの国がどういう意図を持って戦争に入っていったか、これまで明確に語られることはなかったと言う。一般的には、共産主義者による南進を国連軍が食い止めた、という解釈がなされているようだが、どうやらそれもアメリカ側の一方的な見解のようだ。次第に公開され始めている会議録や回顧録などを元に、朝鮮戦争の真実を再構築していく。

 まず何より驚かされるのは、8月15日終戦当日、朝鮮半島の混乱を恐れた日本の朝鮮総督府政務総監が朝鮮人による政府樹立を要請し、9月6日には「朝鮮人民共和国」の樹立が宣言されたという事実だ。しかし、アメリカも、そしてソ連も、この朝鮮人自身による政府樹立を認めず、それぞれが軍政を敷いた。南朝鮮ではアメリカが北進統一を主張する李承晩を支持し、1948年に大韓民国が樹立される。この間、南北統一を目指した呂運亨らは暗殺された。一方、北朝鮮においてはソ連の意向を反映させやすいだろうという判断からスターリンにより金日成が指名された。ちなみに、北朝鮮の多くの人々は金日成を同姓同名のパルチザンの伝説的指導者と間違えていたという逸話は面白い。

 しかし、李承晩政権はその強圧的な政策から国民に人気がなかった。アメリ国務長官による防衛線「アチソンライン」の演説や軍事顧問団を残しての米軍の撤退を見て、韓国内の不満分子の蜂起を想定して南進を主張した金日成に対して、スターリン毛沢東アメリカの介入はないと判断し、南進を認めてしまう。ちなみに、ソ連は第二次大戦終戦前にルーズベルト大統領から提案のあった朝鮮共同信託統治案を支持していたが、ルーズベルト大統領の死去後、トルーマン大統領はこの方針を一転させている。

 こうして金日成により火蓋の切られた朝鮮戦争はあっという間にソウル陥落、2ヶ月後には朝鮮南端の釜山橋頭保を残すのみとなる。ちなみに、その前年には韓国側が米軍撤退を引き留めるため、北朝鮮に侵入する戦闘を起こしている。朝鮮戦争は突然、金日成が戦闘を始めたわけではなく、内戦的な性格の強い戦いだった。一気に窮地に陥った韓国側だが、そこで米国が一転、戦争に加勢する。伸びきった北朝鮮軍の補給路を突く仁川上陸作戦により一気に形勢は逆転。38度線まで追い返すとともに、さらに北上する。すると今度は中国軍などが支援して巻き返し、翌年には再び38度線で対峙する形となった。その後はスターリンが停戦を望まず、実質停戦状態のまま月日は流れ、1953年、スターリンの死去とともにようやく停戦協定が結ばれた。

 朝鮮半島は戦争前と同じく38度線で対峙する形のまま現在に至っている。しかしこの戦争を経て冷戦構造が定着。アメリカでは軍事産業が根を下ろし、ソ連崩壊後の仮想敵国の一つとして北朝鮮が挙げられ、戦争を戦い続ける国となった。日本では、憲法の規定に反して、アメリカの指示により、輸送協力や掃海活動などの戦争関与が秘密裏に行われ、警察予備隊が国会議論を経ずに創設された。朝鮮戦争を機に、憲法で定めたはずの民主国家に反する「逆コース」が公然と進められ、米国の属国化が進んでいく契機ともなっている。

 こうしてみると、朝鮮戦争が現在の国際情勢にもつながる国際関係を作り出すきっかけとなったことがよくわかる。第5章では、トランプ大統領北朝鮮相手に行ったことと今後の見通しなども述べられているが、本書が発行されたのはアメリカ大統領選の前。バイデンに代わってアメリカと北朝鮮の関係に変化はあるのだろうか。それよりもコロナ禍による影響の方が大きいかもしれない。いずれにせよ、この不幸な関係が一日も早く終わる日が来ることを切に望みたい。朝鮮民族のために、そしてそれは必ず日本人のためにもなるはずだ。

 

朝鮮戦争の正体 なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか (単行本)

朝鮮戦争の正体 なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか (単行本)

  • 作者:孫崎 享
  • 発売日: 2020/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

○第二次大戦後、朝鮮戦争までの間、米軍は弛緩した軍隊でした。/朝鮮戦争後、米軍は常に戦う軍隊となりました。戦うための口実がつくり出される時代に入っていったのです。「朝鮮戦争」は朝鮮半島に何の解決ももたらしませんでした。しかし、朝鮮戦争によって、米国は常に戦争をし続ける国になったのです。(P39)

朝鮮半島に内戦が勃発した。……そのころ、われわれは福建沿岸一帯に大勢の兵力を集結し、台湾解放を積極的に準備していた。もしも後に朝鮮戦局の変化がなかったならば、台湾解放の戦役の日はそう遠くなかったはずである。…「アチソンライン」…には、台湾、インドシナ半島などとともに朝鮮半島への言及がありません。/中国は、米国は蒋介石を支援しない可能性があると判断して、台湾侵攻を真剣に検討していました。(P57)

○1949年の終わりに…金日成が…訪れ、スターリンと協議した。…金日成の言によれば、最初のひと突きで南朝鮮の内部に爆発が起こり、人民の力が勝利を得る…ということだった。…スターリンが心配していたのは、アメリカが介入することだったが…もし戦争が迅速に展開すれば…アメリカの介入は避けられるとする考えに傾いた。…スターリンではなく…金こそが発起人だった。(P71)

○8月15日正午、日本政府は…降伏決定を国民に発表しました。…朝鮮総督府政務総監の遠藤柳作は朝鮮半島無政府状態に陥るのを恐れ、朝鮮人による政府樹立を、当時人望のあった呂運亨に要請します。…8月15日夜、呂運亨は建国準備委員会を発足させ、…9月6日、建国準備委員会は「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言します。…しかし、朝鮮半島に上陸したアメリカ軍はこの臨時政府を認知せず、9月7日に軍政の実施を宣言し…ます。(P78)

○イラン・イラク北朝鮮…は、米国の軍事力と比較すると圧倒的に弱(く)…彼らから先に米国に攻撃することはあり得ません。…北朝鮮核兵器の問題は、「北朝鮮が他の国際関係と無関係に、核兵器開発を行っているから、国際社会は、北朝鮮に対抗措置を取らざるを得ない」のではなくて、「米国は自国の膨大な軍事予算の維持のために北朝鮮との敵対的な関係が必要なので、北朝鮮核兵器開発のほうに追い込んで敵対的関係を持つ」ということなのです。(P236)