とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

政治家のいらない仕組みを考えるべきかも

 コロナ禍はまだまだ収まりそうにない。後手後手に回った感のある菅首相への風当たりは日々厳しくなっているような気がする。考えてみれば菅さんは医師でもなければ感染対策の専門家でもない。ちなみに経済政策の専門家でもなく、行政運営の専門家でもない。ただの政治家だ。政治家っていったい何をする人だっけ。

 選挙の投票率は5割を割って、国民の政治離れが言われて久しい。政治家にリーダーシップを求める風潮があるが、リーダーシップとは何ぞや? 国民の生命与奪の権利を特定の政治家に委ねることに我々はいつ同意したのか? 国民の政治不信をよいことに、勝手に権力を振るわれてもいい迷惑だ。そもそも政治家とは何をする人なのか?

 選挙で選ばれた国民の代表者であれば、自らを選んだ国民の意向には常に気を配り、その意向に従うようにすべきだ。だが、選挙で勝った途端に威張り散らす政治家の姿をこれまでもよく見てきた。特定の支持者に対しては低姿勢か? だがそれも選挙の時だけ。ひとたび当選すれば、ふんぞり返る政治家のなんと多いことよ。

 そもそも政治家とは、ITもなく、国民の意向を探るすべもなかった時代に、選挙という方法で代表者を選び、選出された者が国民の代表として国政等の方針を決める議論の場へ参加して、国民の意見を伝え、異なる意見を戦わせ、調整を図り、方向を決定する。そういう仕組みの中で政治家(議員)の役割はあったはず。しかし今や世論調査は各機関が毎月のように実施しているし、ITを活用すれば、全国民を対象としたアンケート調査の実施だって不可能ではない。そんな時代になお、政治家が果たすべき役割は何だろうか? 現在の選挙と議会といった方法ではなく、より早くより簡便に、かつより安価に、国の政策方針を決定する方法はあるのではないか。

 国のすべての政策を、ITを活用した国民投票で決定するようにするとポピュリズムになってしまうという意見があるかもしれない。熟議によって政策決定をすべきという意見があることも承知している。一方で、行政の実務を担う公務員や官僚といった政策集団もある。彼らの中である程度の熟議はされているだろう。だとすれば、政策目的ごとに官僚集団から提出される方針をITによる国民投票で決定するという方法もあるかもしれない。いずれにせよ、目的に照らして、今の時代にあった手法はもっと検討されていい。その中で、本当に政治家という存在が必要なのか、真剣に考えた方がいい。今の状況はあまりに凡庸かつ不適格な者に国の命運を預ける仕組みとなっているのではないかと危惧する。